• 日本のビジネスマンよ、「ドラッカー」を捨て自分の頭で考えよう!

     先日、ある飲食店の雇われ店長から、こんな話を聞いた。その店舗のスタッフは彼を含めて3人だったが、残りの2人が相次いで体調不良で休みを申し出てきた。彼はそれをカバーするために24時間をブッ通しで働いた。

     それでも結局、部下たちは体調不良のままだった。そこでオーナーに「自分はもう限界なので、別の店から応援を寄こすか、店を1日休ませてください」と頼んだところ、頭ごなしにこう罵倒されたという。

     「休業なんてとんでもない! お前がなんとかしろ。お前のマネジメントが悪いんだからな!」。

     これが、日本における「マネジメント」の典型的な使われ方である。大半は、現場のオペレーションのバイトを手配するレベルで、上司が部下を、顧客が店を追い詰めるために、もっともらしく使われているカタカナ用語だ。

     こういう状況に直面すると、多くの真面目な店長は「マネジメントとはなんだろう?」と考え、悩んだ挙げ句、書店に行ってピーター・ドラッカーの「マネジメント――課題、責任、実践」といった本を買ってしまう。しかし、中身は頭に全く入ってこない。まさにチンプンカンプンだ。

     それは当然である。小さな飲食店や、田舎の中小企業でオペレーターの管理をしている人に、ドラッカーが理解できるわけがない。ドラッカーは、そんな人たちのために本を書いたわけではないからだ。


    雇われ店長には「親父の小言」がお似合いだ

     ドラッカーの関心事は、20世紀に登場した「巨大企業」という新しい社会原理であり、最初の研究対象はGM(ゼネラル・モーターズ)だった。それに彼の関心事は、そのような組織が「人を幸福にすること」についてだった。

     もともとドラッカーは、大企業エリートの教養のようなものだ。「オーナーに怒られないこと」「クビにならずに生き延びること」の方が大切な雇われ店長に必要なのは、もっと別の泥臭いものだろう。

     例えば、「朝は機嫌を良くしろ」から始まる「親父の小言」。あるいは、「君主は自らの権威を傷つける恐れのある妥協は絶対にすべきではない」と言い放ったマキャベリである。

     「親父の小言」で物足りないなら、「経営者の役」』を書いたチェスター・バーナード(1886-1961)の理論を自らの現場に援用した方が、まだずっとマシである。「バーナード 経営者の役割」(有斐閣新書)によると、バーナードは組織の三要素として「共通の目的(組織目的)」「協働意志(貢献意欲)」「コミュニケーション」を挙げている。

     組織とは、「共通の目的」を達成するために「貢献意欲」を持った複数の人間が「コミュニケーション」を図っている状態といえるだろう。これが満たされなければ、いくら人が集まっていても、組織ではなく単なる集団である。

     これを飲食店の店長に当てはめれば、店は目的の「年間売上○万円」を達成するために、スタッフたちと「コミュニケーション」を図りながら、「貢献意欲」を高めたり、目的達成のためのよりよい方法を考え実行していったりすることになる。


    バーナード「組織の三要素」で問題をあぶりだす

     店長が足りなかったのは、組織の三要素のうち、何だったのか。「目的」の明確化や共有化はできていたのだろうか。「貢献意欲」が弱まっていなかっただろうか。もしそうだとしたら、それは何が原因だったのか。

     また、「目的」達成のために不足していることは何で、それを実行していくために、どのような「コミュニケーション」が必要なのか。シンプルな三要素を自分の仕事に当てはめると、さまざまな問題点が課題が浮き上がってくる。

     「経営者の役割」には、答えは書いていない。巷に出回っている「こうすれば部下がついてくる!」式のビジネス書ではない。しかし、だからこそ個別の状況に応じて自分の頭で考える力が付くのである。こちらの方が明らかに良書だ。

     「マーケティングとイノベーションの両輪をマネジメントが支える」などと言ったドラッカーを読んでも、ほとんどの人は「デキる人」にはなれない。誰かが「サラリーマンは裸だ」と叫ぶべきだ。

     ところで、冒頭の店長はその後「年収300万円ソコソコで、そこまで責任を負えませんわ」と、オーナーに辞表を叩きつけたという。オーナーこそ、店長のマネジメントに失敗したわけだ。

     

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