W.シェークスピア『ヴェニスの商人』 2012年3月13日 ビジネスの書棚 ツイート 科学的に「正しい投資法」は、ひとつしかない。ビジネスパーソンが理解すべき金融理論はこれだ。 シェイクスピアの喜劇「ヴェニスの商人」は、こんな会話で幕が開く。サラリーノ「分かっております。アントニオさんが憂鬱なのは、船の荷物が気になって仕方ないから。そうでしょう」アントニオ「いや、そんんあことじゃない。幸い私は、一隻の船に、財産をすべて託しているのではない。一箇所の取引先に、一切をかけているのでもない。この一年の運不運に、全財産がかかっているのではない」 中世を舞台とした400年前の作品。ここに、現代の金融工学の金字塔とも呼ばれる「モダンポートフォリオ理論」の神髄が、端的に表現されている。「つまり、アントニオは、分散投資をしていたのである」 経済学者の野口悠紀雄早大教授は、著書『金融工学、こんなに面白い』のなかで、シェークスピアが描いたこの場面を引用しながら、評している。 ヴェネチアの貿易商アントニオは、香料や絹などの貴重な商品を、決して一隻の船だけに積み込まなかった。寄港先や取引相手も、いくつかに分けていた。サラリーノに大嵐を心配されるまでもなく、リスクを分散して、長期での利益をみすえていた。 アントニオの合理性は、20世紀に入り、ノーベル経済学賞によって正しさが証明された。「卵を一つのかごに盛るな」 そんな格言でしばしば要約される「科学的にもっとも真っ当な投資法」。それが、分散投資なのだ。 ◇ 大海にこぎ出す中世の貿易と同じように、現代の株式市場にもリスクがある。不規則な値動きをする株価は、時には利益をもたらすが、運が悪ければ損失にもなる。では、株価の変動とリターンの間には、どんな関係があるのか。 いまから半世紀前に、米国の無名の青年が、この問題に挑戦した。当時、シカゴ大の大学院生だったハリー・マーコビッツだ。 1952年に経済専門誌「ジャーナル・オブ・フィナンス」に発表した論文によって、金融工学という学問は起源を迎える。 このときの論文は、たった15ページ。しかし、内容は驚くべきものだった。個別の株や債券は、それぞれが別々に上がったり下がったりするが、こうした変動リスクをできるだけ抑えて、一定のリターンを得るには、さまざまな資産に分散投資すればよいことを、数学の確率理論を応用して具体的に示したのだ。 この業績によってマーコヴィッツは、38年後にノーベル経済学賞を受けることになる。 ◇ マーコヴィッツの理論を発展させたのは、やはりノーベル経済学賞を受けることになるジェイムズ・トービンだ。 トービンは、最適な資産分散の組み合わせが、投資家の年齢とか好みなどとは無関係に決定されることを示した。後に「トービンの分離定理」と呼ばれるこの重要な発見だ。 この定理によれば、投資家が「株式の銘柄の組み合わせ」を考えることは、無意味になる。リスクとリターンの組み合わせは無数にあるが、最適のポートフォリオは、一点に集約されることを証明してしまったのだ。 では、その最適ポートフォリオとはなにか。この難問に、まったく別のアプローチをしたのが、もう一人のノーベル賞学者であるウイリア・ムシャープだ。その理論である「資本資産評価モデル」は、頭文字をとって「CAPM」(キャップエム)と呼ばれる。 この結論もまた、驚くべきものだった。個別の株を組み合わせる最適のポートフォリオは、その株式市場の平均値であることが証明されたのだ。つまり、こうなる。「投資家は、なにも考えることなく、その株式市場の縮図に乗っていればよい」 中央大の今野浩教授は、著書『金融工学の挑戦』のなかで書いている。「(80年代に)この定理に出会って、腰をぬかさんばかりに驚いたことを、今でも鮮やかに記憶している」 なにしろ、投資家は「何も考えなくていい」ことが証明がされた。これほどの衝撃は、そうそうあるものではないだろう。今野教授のこの著書も、初心者に読みやすく、かつ内容は高度だ。金融工学のさまざまな論文や解説書は、素晴らしい頭の体操の素材になる。
W.シェークスピア『ヴェニスの商人』
科学的に「正しい投資法」は、ひとつしかない。
ビジネスパーソンが理解すべき金融理論はこれだ。
シェイクスピアの喜劇「ヴェニスの商人」は、こんな会話で幕が開く。
サラリーノ「分かっております。アントニオさんが憂鬱なのは、船の荷物が気になって仕方ないから。そうでしょう」
アントニオ「いや、そんんあことじゃない。幸い私は、一隻の船に、財産をすべて託しているのではない。一箇所の取引先に、一切をかけているのでもない。この一年の運不運に、全財産がかかっているのではない」
中世を舞台とした400年前の作品。ここに、現代の金融工学の金字塔とも呼ばれる「モダンポートフォリオ理論」の神髄が、端的に表現されている。
「つまり、アントニオは、分散投資をしていたのである」
経済学者の野口悠紀雄早大教授は、著書『金融工学、こんなに面白い』のなかで、シェークスピアが描いたこの場面を引用しながら、評している。
ヴェネチアの貿易商アントニオは、香料や絹などの貴重な商品を、決して一隻の船だけに積み込まなかった。寄港先や取引相手も、いくつかに分けていた。サラリーノに大嵐を心配されるまでもなく、リスクを分散して、長期での利益をみすえていた。
アントニオの合理性は、20世紀に入り、ノーベル経済学賞によって正しさが証明された。
「卵を一つのかごに盛るな」
そんな格言でしばしば要約される「科学的にもっとも真っ当な投資法」。それが、分散投資なのだ。
◇
大海にこぎ出す中世の貿易と同じように、現代の株式市場にもリスクがある。不規則な値動きをする株価は、時には利益をもたらすが、運が悪ければ損失にもなる。では、株価の変動とリターンの間には、どんな関係があるのか。
いまから半世紀前に、米国の無名の青年が、この問題に挑戦した。当時、シカゴ大の大学院生だったハリー・マーコビッツだ。 1952年に経済専門誌「ジャーナル・オブ・フィナンス」に発表した論文によって、金融工学という学問は起源を迎える。
このときの論文は、たった15ページ。しかし、内容は驚くべきものだった。個別の株や債券は、それぞれが別々に上がったり下がったりするが、こうした変動リスクをできるだけ抑えて、一定のリターンを得るには、さまざまな資産に分散投資すればよいことを、数学の確率理論を応用して具体的に示したのだ。
この業績によってマーコヴィッツは、38年後にノーベル経済学賞を受けることになる。
◇
マーコヴィッツの理論を発展させたのは、やはりノーベル経済学賞を受けることになるジェイムズ・トービンだ。
トービンは、最適な資産分散の組み合わせが、投資家の年齢とか好みなどとは無関係に決定されることを示した。後に「トービンの分離定理」と呼ばれるこの重要な発見だ。
この定理によれば、投資家が「株式の銘柄の組み合わせ」を考えることは、無意味になる。リスクとリターンの組み合わせは無数にあるが、最適のポートフォリオは、一点に集約されることを証明してしまったのだ。
では、その最適ポートフォリオとはなにか。この難問に、まったく別のアプローチをしたのが、もう一人のノーベル賞学者であるウイリア・ムシャープだ。その理論である「資本資産評価モデル」は、頭文字をとって「CAPM」(キャップエム)と呼ばれる。
この結論もまた、驚くべきものだった。個別の株を組み合わせる最適のポートフォリオは、その株式市場の平均値であることが証明されたのだ。つまり、こうなる。
「投資家は、なにも考えることなく、その株式市場の縮図に乗っていればよい」
中央大の今野浩教授は、著書『金融工学の挑戦』のなかで書いている。
「(80年代に)この定理に出会って、腰をぬかさんばかりに驚いたことを、今でも鮮やかに記憶している」
なにしろ、投資家は「何も考えなくていい」ことが証明がされた。これほどの衝撃は、そうそうあるものではないだろう。
今野教授のこの著書も、初心者に読みやすく、かつ内容は高度だ。金融工学のさまざまな論文や解説書は、素晴らしい頭の体操の素材になる。