• 佐藤竜一 『宮澤賢治 あるサラリーマンの生と死』

    一介の「勤め人」でもあった歴史の偉人たち
    理想と現実のはざまで味わった苦労と幸福

    現代思想に巨大な影響を与えつづけたフランスの哲学者ジョルジュ・バタイユは、仕事だった図書館勤務は、勤務として最後まで続けたという。
    すさまじい話ではないか。
    20世紀最大の科学者であるアルベルト・アインシュタインも、特殊相対性理論や光量子仮説などを次々と発表して「奇跡の年」と呼ばれた1905年は、一人の無名の特許局職員だった。
    大学教授でも、研究所所員でもなかった。
    戦後日本を代表する思想家の吉本隆明も、生活のために長年、特許事務所勤務を続けている。
    こうした逸話から呼び起こされる感情は、憧れとも哀感とも簡単には言い尽くせないような、なんとも表しがたい複雑な気分だ。

    「もし歴史の歯車が狂っていたら」

    つまり、バタイユやアインシュタインが、もしも生活になんの心配もいらない大金持ちであったならば。
    その時は、彼らの途方もないまでの困難や苦労を乗り越えねばならなかった辛さが、そもそも不用であった。
    必死になって、詩作や研究に励むこともなかったであろう。
    と同時に、その結果として、かの歴史的な偉業の数々も達成されることがなかったに違いない。
    すさまじい艱難辛苦もないかわりに、栄光や名声とも無縁の人生だ。

    いったい、人生の不幸とか幸福とは、何なのか。
    そして、歴史の偉人たちの業績が、その歴史のいたずらで、もしかしたら他人にほんの少しだけ先んじられていたら、どうなったか。
    その時、バタイユやアインシュタインの栄光は他人のものとなり、彼らはそのままの図書館員や特許局員として人生を終え、歴史の闇へと消え去っただろう。
    そして、しかしそのことを一方的に「不幸だ」とも決めつけがたい。
    そうやって苦労もなく平穏な人生を送ったとして、なぜ不幸といえるだろうか。
    さて、この本、『宮沢賢治 あるサラリーマンの生と死』だ。
    在野の賢治研究家である編集者・ライターの佐藤竜一が、東北採石工場という小さな会社のセールスマンだった賢治に焦点を当て、資料を発掘した労作である。
    さまざまなトラブルに遭遇し、自腹を切ってまで営業活動をしながらも、挫折を重ね、ついには病に倒れてしまう。
    そんな賢治の苦闘ぶりが、見事に描かれている。
    芸術家、文学者、農民運動家としての彼の姿は、よく知られてきた。
    だが、一介の生活者として必死に行きようとしたサラリーマン賢治は、未知だった。
    あとがきに、著者自身の苦しいつぶやきがある。
    この本を執筆中に佐藤は、自分が務めている会社が民事再生法の適用を申請して倒産したというのだ。

    「私に限らず、サラリーマンとして暮らす人々の多くも決して安泰ではない。
    あくせく働き、なんとか持ちこたえている、というのが実情ではないだろうか」

    賢治は、懸命にセールスマンとして働きしながら、自分が理想とする童話や詩の創作にも邁進した。
    その理想と現実のはざまでの苦闘する姿を描いた本書は、説教じみた凡百のビジネス書にはるかに勝るほどの読み応えがある。
    ひとは、おそらく誰もが、若いころの夢と現実のあいだに折り合いを付けつつ、生きていく。
    けれどそれは、夢を捨て去ることを意味しないはずだ。
    サラリーマンとして働きながらも、自分が描いてきた目標とするものを、諦めることなく追い求めることができる。
    叶うか叶わないかは、天のみぞ知ることだ。
    バタイユもアインシュタインも賢治も、「二足のわらじ」をはき、夢を諦めなかった偉大なサラリーマンだった!
    歴史の人物たちが生き抜いた歩みが、この上もない励ましを与えてくれる。

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