「昨日までの世界」 現代社会のあり方を問うジャレド・ダイアモンド 2013年2月12日 ビジネスの書棚 ツイート 米国の進化生物学者で、当代随一のジャーナリストでもあるジャレド・ダイアモンド博士が、このほど来日した。 ダイアモンド博士は上下2巻の大作「銃・病原菌・鉄」(草思社刊)が、ベストセラーとなった。ピュリッツァー賞をはじめとする多くの賞を受賞。2000年以降の出版物の識者が50冊を選ぶという朝日新聞社の書評企画「ゼロ年代の50冊」でも1位を獲得した。 そのダイアモンド博士が今回、世に問う最新作が2月27日に発売される。それが「昨日までの世界」(日本経済新聞出版社刊)だ。 「なぜ世界は、いまこのような姿としてあるのか」 ダイアモンド博士の一貫したテーマは、これだ。 経済、政治、宗教、科学、言語、家族…。世界はもっと別の在り方もあったかもしれないが、現にこのような形になっているのは何故なのか。最新刊で博士は、これまで取り組んできた時間軸をさらにさかのぼり、「文明以前の人類」を考察している。 文明以前とは、原始社会であり部族社会だ。しかし、そこには現代社会が抱える問題点の源流が内包されていると言う。来日したダイアモンド博士の記者会見と記念講演から、そのポイントを洗い出してみよう。 ◇ 人類史は「文明以前」が大半を占める 人類は、アウストラロピテクスとして出現して以来、約600万年前という時間をかけて進化してきた。その長い歴史のなかで、鉄器を発明したり文字を生み出したりしたのは、ほんの数千年前。つまり人類史は、「文明以前」の時間が大半なのだ。 そして、自動車や飛行機、電化製品、インターネットといった現代生活に不可欠な道具やサービスが登場したのは、わずか数十年にすぎない。人類は、つい「昨日まで」は部族社会だった。 では、いまの社会のあり方は、正しいのだろうか。例えば、子育てについても次のような疑問が浮かび上がる。 日本で問題になっているように、子どもを「叩く」ことの是か非なのか。また、子どもにどこまで「自由」を認めるべきなのか。火やナイフを自由に使わせてよいのだろうか、制限すべきなのだろうか。 これは難問だ。伝統的な部族社会も、この2通りの両方がある。子どもを決して叩かない部族社会もあれば、叩いて育てる部族もあるからだ。 高齢者を巡る問題も同様。先進国の米国や日本では、多くの高齢者が施設で暮らしている。しかし、部族社会は違う。フィジーでは今も、高齢者は家族と暮らしている。どうして、こんな違いが出るのだろうか。 ◇ 高齢者が不要になった近代社会 近代社会では高齢者は疎まれるが、伝統的社会では大切にされる。その理由は、高齢者を有用と見ているからだ。 食べられる動物や植物を見分け、子や孫の子守りを任せられる。災害の危険を避け、集団内部の争いをうまく調停する。これらは、高齢者ならではの智恵と経験のたまものだ。とりわけ、文字を持つ以前は、高齢者の存在が、その集団の生存を左右するほど重要だった。 ところが、近代社会では、こうした高齢者の智恵と経験は、すっかり無用になってしまった。知識は、書籍やテレビ、ネットなどから膨大に提供され、育児は幼稚園、保育園、教育は学校が担うようになった。近代社会では、高齢者は貴重な存在ではなくなってしまった。 むしろ「若者にこそ価値がある」という観念が強いのが近代社会だ。その背景には、西欧ではプロテスタントの労働倫理もあるだろう。これは「汗を流して働く者こそが尊い」という観念だ。 実際、米国の商品CMの主役は若者たちだ、お年寄りがコカ・コーラの宣伝に登場することはない。 さらに近代社会には、高齢者を無力化する仕組みがいろいろある。例えば引っ越しだ。米国人は平均して5年に1回、引っ越しをする。引っ越すということは、その土地の知識を失うことであり、友人とのつながりを無くすことだ。高齢者には大きな痛手となる。 技術革新の早さも、大きく影響している。若い頃に覚えた知識は、60年後にはすっかり陳腐化して使えない。電源、チャンネル、ボリューム。昔のテレビは、この3個しかなかった。いま、私の家にあるテレビのリモコンには41個もスイッチがある。 ◇ 30~40年内に持続可能なシステムを作るべき だが、最後に確認しておきたい。私はなにも、伝統社会のすべてを称賛するつもりはない。近代社会のほうが優れていることは数多くある。医療が発達して感染症で死ぬことが減り、栄養が行き届いて長寿にもなった。人間同士の暴力も減っている。 だが、伝統社会の方が良いこともある。それが、「子どもの自立心」や「高齢者の尊厳」という問題だ。 わずか5万年前まで、人間はほかの動物とさほど違わない存在だった。人間のDNAの99%はチンパンジーと同じ。人間の変化は、ほんの最近だ。人間は極めて短い時間で、地球の使い方さえも変えてしまった。 では私たちは、この先も持続可能だろうか。今、日本も米国も、大きな問題に直面している。あと30年か40年。その時間のうちに、持続可能なシステムを作らなければならないのだ。 【その他ビジネスの書棚の記事はこちら】
「昨日までの世界」 現代社会のあり方を問うジャレド・ダイアモンド
米国の進化生物学者で、当代随一のジャーナリストでもあるジャレド・ダイアモンド博士が、このほど来日した。
ダイアモンド博士は上下2巻の大作「銃・病原菌・鉄」(草思社刊)が、ベストセラーとなった。ピュリッツァー賞をはじめとする多くの賞を受賞。2000年以降の出版物の識者が50冊を選ぶという朝日新聞社の書評企画「ゼロ年代の50冊」でも1位を獲得した。
そのダイアモンド博士が今回、世に問う最新作が2月27日に発売される。それが「昨日までの世界」(日本経済新聞出版社刊)だ。
「なぜ世界は、いまこのような姿としてあるのか」
ダイアモンド博士の一貫したテーマは、これだ。
経済、政治、宗教、科学、言語、家族…。世界はもっと別の在り方もあったかもしれないが、現にこのような形になっているのは何故なのか。最新刊で博士は、これまで取り組んできた時間軸をさらにさかのぼり、「文明以前の人類」を考察している。
文明以前とは、原始社会であり部族社会だ。しかし、そこには現代社会が抱える問題点の源流が内包されていると言う。来日したダイアモンド博士の記者会見と記念講演から、そのポイントを洗い出してみよう。
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人類史は「文明以前」が大半を占める
人類は、アウストラロピテクスとして出現して以来、約600万年前という時間をかけて進化してきた。その長い歴史のなかで、鉄器を発明したり文字を生み出したりしたのは、ほんの数千年前。つまり人類史は、「文明以前」の時間が大半なのだ。
そして、自動車や飛行機、電化製品、インターネットといった現代生活に不可欠な道具やサービスが登場したのは、わずか数十年にすぎない。人類は、つい「昨日まで」は部族社会だった。
では、いまの社会のあり方は、正しいのだろうか。例えば、子育てについても次のような疑問が浮かび上がる。
日本で問題になっているように、子どもを「叩く」ことの是か非なのか。また、子どもにどこまで「自由」を認めるべきなのか。火やナイフを自由に使わせてよいのだろうか、制限すべきなのだろうか。
これは難問だ。伝統的な部族社会も、この2通りの両方がある。子どもを決して叩かない部族社会もあれば、叩いて育てる部族もあるからだ。
高齢者を巡る問題も同様。先進国の米国や日本では、多くの高齢者が施設で暮らしている。しかし、部族社会は違う。フィジーでは今も、高齢者は家族と暮らしている。どうして、こんな違いが出るのだろうか。
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高齢者が不要になった近代社会
近代社会では高齢者は疎まれるが、伝統的社会では大切にされる。その理由は、高齢者を有用と見ているからだ。
食べられる動物や植物を見分け、子や孫の子守りを任せられる。災害の危険を避け、集団内部の争いをうまく調停する。これらは、高齢者ならではの智恵と経験のたまものだ。とりわけ、文字を持つ以前は、高齢者の存在が、その集団の生存を左右するほど重要だった。
ところが、近代社会では、こうした高齢者の智恵と経験は、すっかり無用になってしまった。知識は、書籍やテレビ、ネットなどから膨大に提供され、育児は幼稚園、保育園、教育は学校が担うようになった。近代社会では、高齢者は貴重な存在ではなくなってしまった。
むしろ「若者にこそ価値がある」という観念が強いのが近代社会だ。その背景には、西欧ではプロテスタントの労働倫理もあるだろう。これは「汗を流して働く者こそが尊い」という観念だ。
実際、米国の商品CMの主役は若者たちだ、お年寄りがコカ・コーラの宣伝に登場することはない。
さらに近代社会には、高齢者を無力化する仕組みがいろいろある。例えば引っ越しだ。米国人は平均して5年に1回、引っ越しをする。引っ越すということは、その土地の知識を失うことであり、友人とのつながりを無くすことだ。高齢者には大きな痛手となる。
技術革新の早さも、大きく影響している。若い頃に覚えた知識は、60年後にはすっかり陳腐化して使えない。電源、チャンネル、ボリューム。昔のテレビは、この3個しかなかった。いま、私の家にあるテレビのリモコンには41個もスイッチがある。
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30~40年内に持続可能なシステムを作るべき
だが、最後に確認しておきたい。私はなにも、伝統社会のすべてを称賛するつもりはない。近代社会のほうが優れていることは数多くある。医療が発達して感染症で死ぬことが減り、栄養が行き届いて長寿にもなった。人間同士の暴力も減っている。
だが、伝統社会の方が良いこともある。それが、「子どもの自立心」や「高齢者の尊厳」という問題だ。
わずか5万年前まで、人間はほかの動物とさほど違わない存在だった。人間のDNAの99%はチンパンジーと同じ。人間の変化は、ほんの最近だ。人間は極めて短い時間で、地球の使い方さえも変えてしまった。
では私たちは、この先も持続可能だろうか。今、日本も米国も、大きな問題に直面している。あと30年か40年。その時間のうちに、持続可能なシステムを作らなければならないのだ。
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