最終選考まで残っても合格者ゼロ!? 有名私大卒の理系男性が就職氷河期を回想 NEW 2025年4月8日 キャリコネNEWS ツイート 画像はイメージ 1993年頃から2005年頃まで就職活動が困難を極めた。一般的に文系より就職に強いとされる理系でもきつかったようだ。 有名私立大学の理工学部を2000年に卒業したという47歳の男性(京都府)は、悲惨さは文系ほどではなかったとは言え、「いつまでも就職の決まらない友人がいました」と振り返る。 「学校推薦で企業を受けに行った学生はことごとく落とされ、自由応募で受けたほうがまだましでした。学校推薦って何のためにあんねんと思いました」 今思い出しても怒りが込み上げる様子だ。自身も経験した悲惨な就活体験を明かしてくれた。(文:篠原みつき) 「私は厳しい社会で鍛えた方がいいと思い就職活動をしました」 就活の時期には企業が学内で説明会を開くことがあるが、まずこれに参加することすら狭き門だった。 「校内では企業が就職ガイダンスしていたのを思い出しますが、対象は院生のみ。学部生は、はじめからいらない姿勢」 男性の中では、院生は「2年間余分に遊びほうけてる」という認識だったそう。 「その院生の方が評価高いのがよくわからず、例え院生になったとしてもそんな姿勢の企業なんか受けるかと思いました。2年後に景気もわからないので、とりあえず院に行く生徒は増えたのかもしれません。私は厳しい社会で鍛えた方がいいと思い就職活動をしました」 自身は険しい道を選んだが、就職活動は想像以上に厳しいものだった。第一志望の企業では、会社の説明会に参加するのにも、その企業の工場まで足を運ばねばならなかったという。 「せっかく来たんだから質問はして帰ろうというスタンスで行き、結果的に手をあげて質問をしていた学生のみが2次に進むこととなりました。ただの説明会と思いきや、すでに選考が始まっていました」 積極的に質問をして1次選考を通過した男性。2次選考への準備も怠る事はなかった。 「2次ではその会社の主力商品に関わる技術の本をあらかじめ読んで勉強し、専門的な知識を身につけ話をしたことを覚えています。その後、3次か4次か忘れましたが、最終面接までこぎつけ、終わった時は手応えはありました」 準備を万全にしてやり切った最終選考の後は、「最終面接まで残った学生達と連絡先の交換をしてお互い結果待ちとなりました」という。 その就活生たちとは、後日「飲み会が企画」され、集まった者同士で結果報告会となった。ところが、男性は信じられない結果を聞く。 「全員は集まらなかったのですが、嘘なんじゃないかと疑いましたが、誰一人受かっておらず、採用者数は0人だったと。悔しいのは、それに費やした時間と交通費は何だったのか、ならはじめから採用すんな!と言いたい。こんな企業、他にもあったんちゃうかなと思います」 欠席者の中にも合格者はいなかったということだろうか。いずれにしても男性は振り回されただけで終わったのだ。有名大学の理工系の学生すらこのような扱いを受けていたのかと愕然とする。なお、現在男性は教育関係の仕事に就き年収は1000万円とのことだ。
最終選考まで残っても合格者ゼロ!? 有名私大卒の理系男性が就職氷河期を回想 NEW
1993年頃から2005年頃まで就職活動が困難を極めた。一般的に文系より就職に強いとされる理系でもきつかったようだ。
有名私立大学の理工学部を2000年に卒業したという47歳の男性(京都府)は、悲惨さは文系ほどではなかったとは言え、「いつまでも就職の決まらない友人がいました」と振り返る。
「学校推薦で企業を受けに行った学生はことごとく落とされ、自由応募で受けたほうがまだましでした。学校推薦って何のためにあんねんと思いました」
今思い出しても怒りが込み上げる様子だ。自身も経験した悲惨な就活体験を明かしてくれた。(文:篠原みつき)
「私は厳しい社会で鍛えた方がいいと思い就職活動をしました」
就活の時期には企業が学内で説明会を開くことがあるが、まずこれに参加することすら狭き門だった。
「校内では企業が就職ガイダンスしていたのを思い出しますが、対象は院生のみ。学部生は、はじめからいらない姿勢」
男性の中では、院生は「2年間余分に遊びほうけてる」という認識だったそう。
「その院生の方が評価高いのがよくわからず、例え院生になったとしてもそんな姿勢の企業なんか受けるかと思いました。2年後に景気もわからないので、とりあえず院に行く生徒は増えたのかもしれません。私は厳しい社会で鍛えた方がいいと思い就職活動をしました」
自身は険しい道を選んだが、就職活動は想像以上に厳しいものだった。第一志望の企業では、会社の説明会に参加するのにも、その企業の工場まで足を運ばねばならなかったという。
「せっかく来たんだから質問はして帰ろうというスタンスで行き、結果的に手をあげて質問をしていた学生のみが2次に進むこととなりました。ただの説明会と思いきや、すでに選考が始まっていました」
積極的に質問をして1次選考を通過した男性。2次選考への準備も怠る事はなかった。
「2次ではその会社の主力商品に関わる技術の本をあらかじめ読んで勉強し、専門的な知識を身につけ話をしたことを覚えています。その後、3次か4次か忘れましたが、最終面接までこぎつけ、終わった時は手応えはありました」
準備を万全にしてやり切った最終選考の後は、「最終面接まで残った学生達と連絡先の交換をしてお互い結果待ちとなりました」という。
その就活生たちとは、後日「飲み会が企画」され、集まった者同士で結果報告会となった。ところが、男性は信じられない結果を聞く。
「全員は集まらなかったのですが、嘘なんじゃないかと疑いましたが、誰一人受かっておらず、採用者数は0人だったと。悔しいのは、それに費やした時間と交通費は何だったのか、ならはじめから採用すんな!と言いたい。こんな企業、他にもあったんちゃうかなと思います」
欠席者の中にも合格者はいなかったということだろうか。いずれにしても男性は振り回されただけで終わったのだ。有名大学の理工系の学生すらこのような扱いを受けていたのかと愕然とする。なお、現在男性は教育関係の仕事に就き年収は1000万円とのことだ。