「鳥貴族」取締役は全員アルバイト出身 社長が 「長所しか見ない」から部下がついてくる 2015年4月13日 キャリコネNEWS ツイート ワタミが初の営業赤字を出すなど居酒屋業界が苦境に立たされる中、好調に売り上げを伸ばしているチェーンが「鳥貴族」だ。食べ物・飲み物すべて280円均一(税別)。味もおいしいと評判で、全国で400店舗に拡大し成長を続けている。 2015年4月9日放送の「カンブリア宮殿」(テレビ東京)は、創業者の大倉忠司社長を紹介した。いまやジャスダック上場企業だが、創業当時は閑古鳥。転職しようとした部下は「焼き鳥屋をさせるために大学に行かせたんじゃない」と親子ゲンカになった。 修業時代に「均一価格は流行る」と直感 大倉社長は高校時代、ビアガーデンで焼鳥屋のアルバイトをした経験から接客の楽しさに目覚め、飲食業を一生の仕事にしようと調理師学校に進んだ。 卒業してホテルやレストランで修業をしていた頃、仕事帰りに立ち寄った炉端焼きの店が全品230円で驚いた。安いうえに得な品を見つける楽しみもあり、「均一価格は流行る」と直感した。 1985年25歳の時、貯金と親の家を担保に借金した資金で「鳥貴族」1号店をオープン。東大阪市駅前の小さな店だった。このときアルバイト店員として働いて中西卓己さんは、大倉社長に「鳥貴族は全国に店を出す」と聞かされていた。 しかし開店当初はほとんど客が来ず、閑古鳥が鳴いていた。中西さんは「この人は何を言ってるんだ」と鼻で笑っていたが、働く間に本気が伝わってきたという。 オープンから1年、赤字続きで倒産の危機に瀕したころ、それまで原価を気にして踏み切れなかった250円均一に打って出ると、客が徐々に増え店は息を吹き返した。大阪道頓堀店オープンと阪神タイガース18年ぶりの優勝も重なり、初めての繁華街で大成功。躍進のきっかけとなった。 親の反対を押し切った部下「お前の選択肢は正しかったな」 創業時のアルバイトだった中西さんは、現在は専務に就任している。大学を卒業後、一度は建築会社に入ったが、鳥貴族に戻ったのだ。転職を決めたときには、「焼鳥屋をさせるために大学に行かせたんじゃない」と、両親と激しい親子ゲンカになった。 それでも「最後に俺は絶対成功するから」と無理やり説得した。中西さんを動かしたのは、「外食産業の地位を上げたい」という大倉社長の言葉だ。 「一緒に40年かけてやるには十分なことだ」と思ったというが、入社して15年ほど経ってから初めて親から「お前の選択肢は正しかったな」と言われたそうだ。2014年7月、鳥貴族はジャスダックに上場。大倉社長は思いをこう明かす。 「創業時は今以上に飲食業界の地位は低かったので、上場企業にしたらもっと認められるんじゃないかと思った。それが創業から一緒にやってきた社員に報いることです」 アルバイトから取締役になっているのは、専務の中西さんだけではない。4人いる取締役は全員元アルバイトだ。やはり1号店でアルバイトしていたという青木繁則常務は、大倉社長に賭けた思いをこう語る。 「創業当時、スケールの大きな話をしていて、その大きさにびっくりした。そのままついて行ったら面白いことができるだろうと思ったんですね」 「成功しか頭になかった」ポジティブさに魅力 村上龍に、戦友のような信頼関係を築く方法について訊かれると、大倉社長はこう応えた。 「私は人が好きですし、長所しか見ないタイプ。いいところだけを見るから一緒にやりたくなっていくんですね。もし彼らが途中で辞めれば、私の責任です」 大倉社長は穏やかな表情で、自らを「接客が好き、聞き上手です」とも言う。自画自賛のような言葉だが、常に目標に向かってブレずに突き進んで来た自信から来るものだろう。 創業時、親の家を担保にして「うまくいかなかったら」という考えはなく、子どもが生まれたばかりだったが「成功することしか頭になかった」というポジティブさ。取締役として鳥貴族を支える元アルバイトの方々が、社長について行きたくなった気持ちが分かる気がした。(ライター:okei) あわせてよみたい:回転寿司が居酒屋業界に殴りこみ! つまみも充実
「鳥貴族」取締役は全員アルバイト出身 社長が 「長所しか見ない」から部下がついてくる
ワタミが初の営業赤字を出すなど居酒屋業界が苦境に立たされる中、好調に売り上げを伸ばしているチェーンが「鳥貴族」だ。食べ物・飲み物すべて280円均一(税別)。味もおいしいと評判で、全国で400店舗に拡大し成長を続けている。
2015年4月9日放送の「カンブリア宮殿」(テレビ東京)は、創業者の大倉忠司社長を紹介した。いまやジャスダック上場企業だが、創業当時は閑古鳥。転職しようとした部下は「焼き鳥屋をさせるために大学に行かせたんじゃない」と親子ゲンカになった。
修業時代に「均一価格は流行る」と直感
大倉社長は高校時代、ビアガーデンで焼鳥屋のアルバイトをした経験から接客の楽しさに目覚め、飲食業を一生の仕事にしようと調理師学校に進んだ。
卒業してホテルやレストランで修業をしていた頃、仕事帰りに立ち寄った炉端焼きの店が全品230円で驚いた。安いうえに得な品を見つける楽しみもあり、「均一価格は流行る」と直感した。
1985年25歳の時、貯金と親の家を担保に借金した資金で「鳥貴族」1号店をオープン。東大阪市駅前の小さな店だった。このときアルバイト店員として働いて中西卓己さんは、大倉社長に「鳥貴族は全国に店を出す」と聞かされていた。
しかし開店当初はほとんど客が来ず、閑古鳥が鳴いていた。中西さんは「この人は何を言ってるんだ」と鼻で笑っていたが、働く間に本気が伝わってきたという。
オープンから1年、赤字続きで倒産の危機に瀕したころ、それまで原価を気にして踏み切れなかった250円均一に打って出ると、客が徐々に増え店は息を吹き返した。大阪道頓堀店オープンと阪神タイガース18年ぶりの優勝も重なり、初めての繁華街で大成功。躍進のきっかけとなった。
親の反対を押し切った部下「お前の選択肢は正しかったな」
創業時のアルバイトだった中西さんは、現在は専務に就任している。大学を卒業後、一度は建築会社に入ったが、鳥貴族に戻ったのだ。転職を決めたときには、「焼鳥屋をさせるために大学に行かせたんじゃない」と、両親と激しい親子ゲンカになった。
それでも「最後に俺は絶対成功するから」と無理やり説得した。中西さんを動かしたのは、「外食産業の地位を上げたい」という大倉社長の言葉だ。
「一緒に40年かけてやるには十分なことだ」と思ったというが、入社して15年ほど経ってから初めて親から「お前の選択肢は正しかったな」と言われたそうだ。2014年7月、鳥貴族はジャスダックに上場。大倉社長は思いをこう明かす。
アルバイトから取締役になっているのは、専務の中西さんだけではない。4人いる取締役は全員元アルバイトだ。やはり1号店でアルバイトしていたという青木繁則常務は、大倉社長に賭けた思いをこう語る。
「成功しか頭になかった」ポジティブさに魅力
村上龍に、戦友のような信頼関係を築く方法について訊かれると、大倉社長はこう応えた。
大倉社長は穏やかな表情で、自らを「接客が好き、聞き上手です」とも言う。自画自賛のような言葉だが、常に目標に向かってブレずに突き進んで来た自信から来るものだろう。
創業時、親の家を担保にして「うまくいかなかったら」という考えはなく、子どもが生まれたばかりだったが「成功することしか頭になかった」というポジティブさ。取締役として鳥貴族を支える元アルバイトの方々が、社長について行きたくなった気持ちが分かる気がした。(ライター:okei)
あわせてよみたい:回転寿司が居酒屋業界に殴りこみ! つまみも充実