認知症でも働ける! 「若年性アルツハイマー」を発症したトップセールスマンの戦い 2015年7月16日 キャリコネNEWS ツイート 65歳未満の人が発症する「若年性認知症」が増加傾向にあるという。家庭を背負った働き盛りの年齢で発症すれば、仕事を続けられなくなる恐れがあり、大きな問題だ。 7月14日放送の「ガイアの夜明け」(テレビ東京)は、39歳という若さで若年性認知症と診断されながら、仕事を続けている男性の姿を紹介した。ネッツトヨタ仙台で働く丹野智文さん(41)が最初に異変を感じたのは、6年前のことだった。 「人生終わった」と思ったが「体は動くんだろう」と社長 当時、丹野さんは仙台市青葉区のフォルクスワーゲン定禅寺店のトップセールスマン。しかしお客さんを訪問するときに、車内で部屋番号を確認するが玄関まで来ると忘れてしまい、何往復もするようになった。そのうち新しいお客さんの顔や名前も覚えられなくなってしまった。 2年前、初めて東北大学病院を受診し、1カ月かけて様々な検査を行った結果、「若年性アルツハイマー認知症」と診断された。丹野さんは当時を思い出しながらこう語った。 「アルツハイマー、イコール終わり。人生は終わったと感じた」 丹野さんにはまだ10代の娘2人と妻がおり、一番の気がかりは仕事が続けられるかどうかだった。妻と2人で社長に報告をしに行くと、「体は動くんだろう?」と言われた。クビにはならなかったのだ。 「そんなにないのに、いかにも(できる仕事が)あるという風に気を遣って言ってくれた。本当にうれしくて」 と、丹野さんは涙を抑えきれない様子で話した。 ハンデを補うために2冊のノート。同僚も参考にする ネッツトヨタ仙台の野萱和夫社長は、社員が安心して働ける環境づくりを考えていた。仕事を続けてもらう理由を「『自分がもしもの時も、ここで働ける』と思えることは、社員にとっては安心できる」と説明した。 現在丹野さんは、自分のハンデを補うために様々な工夫をしながら、総務人事のチームリーダーを務めている。基本業務は20項目。社員の年金管理や退職金の計算など色々あり、すべての仕事を2冊のノートで管理している。 1冊は、「やるべき仕事」と「手順」をマニュアル化したもの。手書きで整然とまとめられており、丁寧で几帳面な仕事ぶりが垣間見える。もう1冊は「やり終えた仕事」を記入するもの。やったかどうか忘れてしまうので、1か月の業務表にチェックを入れていくのだ。 この仕事のやり方は、同僚たちも参考にしている。上司の評価は「特に問題はない」。オープンにしているので、同僚も何かあれば率直に指摘しやすい。 丹野さんは、記憶障害はあっても思考力や判断力は十分にある。新人の営業マンへの指導など、野萱社長は丹野さんが戦力として活躍できる場をどんどん作っていた。 偏見で仕事を追われることがないように 丹野さんは休日に日本各地に出かけ、講演活動をしている。いま若年性認知症の患者は約4万人。発症しても働き続けられる社会になって欲しいと、丹野さんは訴えている。 「若い人でも、認知症になる可能性があることを知って欲しいと思います。認知症は決して恥ずかしい病気ではありません。誰でもなりえる、ただの病気です」 認知症を発症してから違う部署で新しい仕事を覚えたのだから、その努力は相当なものだっただろう。最初は「常に涙。不安と恐怖しかなかった」と言うが、同じ病の患者やその家族が集う「翼の会」に参加し、痛みと楽しみを分かち合いながら前向きに生活している様子だった。 企業側の理解が前提となることは言うまでもないが、「忘れる」を自覚して徹底的に対策を打ち、周囲もそれを理解していれば仕事を続けることは可能だと、丹野さんは自ら証明してみせてくれた。 病人と分かった途端に、実態を踏まえず「ムリだ」「迷惑だから辞めて」などという人もいそうだが、認知症に対する理解が深まり、偏見だけで仕事を追われることがない世の中になって欲しいと思う。(ライター:okei) あわせてよみたい:「がん患者の妻」が苦しむ苛烈なストレス
認知症でも働ける! 「若年性アルツハイマー」を発症したトップセールスマンの戦い
65歳未満の人が発症する「若年性認知症」が増加傾向にあるという。家庭を背負った働き盛りの年齢で発症すれば、仕事を続けられなくなる恐れがあり、大きな問題だ。
7月14日放送の「ガイアの夜明け」(テレビ東京)は、39歳という若さで若年性認知症と診断されながら、仕事を続けている男性の姿を紹介した。ネッツトヨタ仙台で働く丹野智文さん(41)が最初に異変を感じたのは、6年前のことだった。
「人生終わった」と思ったが「体は動くんだろう」と社長
当時、丹野さんは仙台市青葉区のフォルクスワーゲン定禅寺店のトップセールスマン。しかしお客さんを訪問するときに、車内で部屋番号を確認するが玄関まで来ると忘れてしまい、何往復もするようになった。そのうち新しいお客さんの顔や名前も覚えられなくなってしまった。
2年前、初めて東北大学病院を受診し、1カ月かけて様々な検査を行った結果、「若年性アルツハイマー認知症」と診断された。丹野さんは当時を思い出しながらこう語った。
丹野さんにはまだ10代の娘2人と妻がおり、一番の気がかりは仕事が続けられるかどうかだった。妻と2人で社長に報告をしに行くと、「体は動くんだろう?」と言われた。クビにはならなかったのだ。
と、丹野さんは涙を抑えきれない様子で話した。
ハンデを補うために2冊のノート。同僚も参考にする
ネッツトヨタ仙台の野萱和夫社長は、社員が安心して働ける環境づくりを考えていた。仕事を続けてもらう理由を「『自分がもしもの時も、ここで働ける』と思えることは、社員にとっては安心できる」と説明した。
現在丹野さんは、自分のハンデを補うために様々な工夫をしながら、総務人事のチームリーダーを務めている。基本業務は20項目。社員の年金管理や退職金の計算など色々あり、すべての仕事を2冊のノートで管理している。
1冊は、「やるべき仕事」と「手順」をマニュアル化したもの。手書きで整然とまとめられており、丁寧で几帳面な仕事ぶりが垣間見える。もう1冊は「やり終えた仕事」を記入するもの。やったかどうか忘れてしまうので、1か月の業務表にチェックを入れていくのだ。
この仕事のやり方は、同僚たちも参考にしている。上司の評価は「特に問題はない」。オープンにしているので、同僚も何かあれば率直に指摘しやすい。
丹野さんは、記憶障害はあっても思考力や判断力は十分にある。新人の営業マンへの指導など、野萱社長は丹野さんが戦力として活躍できる場をどんどん作っていた。
偏見で仕事を追われることがないように
丹野さんは休日に日本各地に出かけ、講演活動をしている。いま若年性認知症の患者は約4万人。発症しても働き続けられる社会になって欲しいと、丹野さんは訴えている。
認知症を発症してから違う部署で新しい仕事を覚えたのだから、その努力は相当なものだっただろう。最初は「常に涙。不安と恐怖しかなかった」と言うが、同じ病の患者やその家族が集う「翼の会」に参加し、痛みと楽しみを分かち合いながら前向きに生活している様子だった。
企業側の理解が前提となることは言うまでもないが、「忘れる」を自覚して徹底的に対策を打ち、周囲もそれを理解していれば仕事を続けることは可能だと、丹野さんは自ら証明してみせてくれた。
病人と分かった途端に、実態を踏まえず「ムリだ」「迷惑だから辞めて」などという人もいそうだが、認知症に対する理解が深まり、偏見だけで仕事を追われることがない世の中になって欲しいと思う。(ライター:okei)
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