10年干されたヒロミが「すべての人に感謝しよう」とザンゲ 関根勉も「50歳を過ぎるとこの感覚になる」 2015年7月20日 キャリコネNEWS ツイート 7月20日(祝)に放送された「しくじり先生 俺みたいになるな!!&Qさま!!合体SP」(テレビ朝日系)に、タレントのヒロミが登場した。 全盛期にはレギュラー番組を10本持ち、月収6000万円というとんでもない額を稼いでいたと話した彼も、40歳を迎える頃にはレギュラーが0本になってしまい、10年ほどは「あの人はいま?」状態となっていた。(文:松本ミゾレ) 周囲に「120%力を出せ!」と要求して軋轢 そんなヒロミのメディア露出が、どうして途絶えてしまったのか。本人曰く、その理由の一端には関係者へのパワハラ、いじめまがいの対応があったという。 なんでも若かったヒロミは、仕事に対して周囲が全力を注いでいないと気が済まず、「120%力を出せ!」と要求していたそうだ。その勢いで番組のディレクターと時には口論どころか乱闘騒ぎに発展することもあったという。 その牙は後輩芸人にも向いた。さまぁ~ずの三村マサカズなどは海外ロケの際にうまくボケられなかったことをヒロミに責められ続け、帰国後奥さんの前で号泣してしまったのだとか。悪気があってやったわけではないというが、自分を叱ってくれる人もおらず、知らないうちに「お山の大将症候群」になっていたというわけだ。 スタッフや後輩への暴言は数知れず、当然人望は皆無となった。プライベートでは後輩をろくに遊びに連れていかず、一方でタモリやビートたけしなどとばかり仲良くしていたため、余計に反感を持たれていたと振り返る。 経営者の経験を通じて生き方を矯正 やがていつまで待っても、新しい仕事が入ってこなくなった。しかたなくパーソナルジムの経営者となったヒロミは、そこでやっと芸能界という特殊な世界から解き放たれ、生き方を矯正することに成功したようだ。 例えば周囲に120%の力を出すことを要求しても、周囲はついて来ないことを学び、自分も「そんな張り切らなくていいんだな」と感じたという。この辺は他人を使って事業を行う経営者らしい考え方と思えた。 ヒロミはゲストの若手芸人などに向けて「10年間テレビから消えた先輩から後輩へアドバイス」として、次の3つのことを伝えていた。 (1)すべての人に感謝しよう (2)いつ辞めてもいい覚悟で仕事しよう (3)もっと遊ぼう ゲストの関根勤は、感謝の件について「50歳になるとこの感覚になる」と発言。周囲が自分のためにいろんなことをやってくれていることに気づくことができるのが、その年齢なのだそうである。 遊びを通じて学んだ「間違えたら間違えたところまで戻ればいい」 またヒロミは、「若い世代の人たちは早く結婚しろ」「背負うものを背負いなさい」と助言していた。いまの若い人たちは結婚をしたがらない傾向にあるが、背負うものができれば何とかして頑張ろうという気にもなるという。また、こんなことも言っていた。 「無理して高い家を買うと、その家が仕事を持ってきてくれる」 それから、仕事を離れて遊びを通じて学ぶことは多く、たとえば登山で道に迷う経験を通じて「間違えたら間違えたところまで戻ればいい」ということを知ったそうだ。 ヒロミの過ごしている世界は芸能界、そして経営と、僕らの世界とはちょっと……いや、だいぶ別な次元だったりする。それでも、彼が干されてしまってから得た「気付き」は、僕ら社会人としても応用できるのではないだろうか。 あわせてよみたい:現役を続ける高田純次の「3つの戒め」
10年干されたヒロミが「すべての人に感謝しよう」とザンゲ 関根勉も「50歳を過ぎるとこの感覚になる」
7月20日(祝)に放送された「しくじり先生 俺みたいになるな!!&Qさま!!合体SP」(テレビ朝日系)に、タレントのヒロミが登場した。
全盛期にはレギュラー番組を10本持ち、月収6000万円というとんでもない額を稼いでいたと話した彼も、40歳を迎える頃にはレギュラーが0本になってしまい、10年ほどは「あの人はいま?」状態となっていた。(文:松本ミゾレ)
周囲に「120%力を出せ!」と要求して軋轢
そんなヒロミのメディア露出が、どうして途絶えてしまったのか。本人曰く、その理由の一端には関係者へのパワハラ、いじめまがいの対応があったという。
なんでも若かったヒロミは、仕事に対して周囲が全力を注いでいないと気が済まず、「120%力を出せ!」と要求していたそうだ。その勢いで番組のディレクターと時には口論どころか乱闘騒ぎに発展することもあったという。
その牙は後輩芸人にも向いた。さまぁ~ずの三村マサカズなどは海外ロケの際にうまくボケられなかったことをヒロミに責められ続け、帰国後奥さんの前で号泣してしまったのだとか。悪気があってやったわけではないというが、自分を叱ってくれる人もおらず、知らないうちに「お山の大将症候群」になっていたというわけだ。
スタッフや後輩への暴言は数知れず、当然人望は皆無となった。プライベートでは後輩をろくに遊びに連れていかず、一方でタモリやビートたけしなどとばかり仲良くしていたため、余計に反感を持たれていたと振り返る。
経営者の経験を通じて生き方を矯正
やがていつまで待っても、新しい仕事が入ってこなくなった。しかたなくパーソナルジムの経営者となったヒロミは、そこでやっと芸能界という特殊な世界から解き放たれ、生き方を矯正することに成功したようだ。
例えば周囲に120%の力を出すことを要求しても、周囲はついて来ないことを学び、自分も「そんな張り切らなくていいんだな」と感じたという。この辺は他人を使って事業を行う経営者らしい考え方と思えた。
ヒロミはゲストの若手芸人などに向けて「10年間テレビから消えた先輩から後輩へアドバイス」として、次の3つのことを伝えていた。
ゲストの関根勤は、感謝の件について「50歳になるとこの感覚になる」と発言。周囲が自分のためにいろんなことをやってくれていることに気づくことができるのが、その年齢なのだそうである。
遊びを通じて学んだ「間違えたら間違えたところまで戻ればいい」
またヒロミは、「若い世代の人たちは早く結婚しろ」「背負うものを背負いなさい」と助言していた。いまの若い人たちは結婚をしたがらない傾向にあるが、背負うものができれば何とかして頑張ろうという気にもなるという。また、こんなことも言っていた。
それから、仕事を離れて遊びを通じて学ぶことは多く、たとえば登山で道に迷う経験を通じて「間違えたら間違えたところまで戻ればいい」ということを知ったそうだ。
ヒロミの過ごしている世界は芸能界、そして経営と、僕らの世界とはちょっと……いや、だいぶ別な次元だったりする。それでも、彼が干されてしまってから得た「気付き」は、僕ら社会人としても応用できるのではないだろうか。
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