私のスキルを認めなかった「キャリア・アドバイザー」を見返したい:クレイジーゼネラリスト河野伸樹の逆襲(前編) 2021年7月8日 キャリコネNEWS ツイート 「クレイジーゼネラリスト」を名乗る河野伸樹さん 「メンバーシップ型雇用からジョブ型雇用へ」の流れの中で、尖ったスキルを誇るスペシャリストが歓迎されている。その一方で、従来の日本企業で育成されてきた、分野を超えて広く浅く手掛ける「ゼネラリスト」の地盤沈下が著しい。 この風潮に「なんでも屋最強説」を掲げる河野伸樹さん(45歳)は納得がいかない。「クレイジーゼネラリスト」を名乗り、全国のゼネラリストに、自らのスキルと可能性のすべてを活かす道を探すべきと鼓舞する活動を行っている。なぜそのような考えに至ったのか。株式会社グローバルウェイ取締役CHROの根本勇矢が話を聞いた。(構成:キャリコネニュース編集部) ビジネスを多産し「月商50万円」で本腰入れる 「うさぎ向けアパレル」などニッチビジネスを多数展開 ――河野さんは、「なんでも屋最強」説を唱えるクレイジーゼネラリストを名乗り、さまざまなニッチビジネスを行っているそうですが、具体的にどんなことをしているのですか。 河野:いま動かしているビジネスを並べると、例えばこんな感じになります。 ・デトックス専門エステサロン運営 ・うさぎに特化したペット向けアパレル事業 ・一軒家型イベントスペース運営 ・ベトナムITトップチーム日本側窓口担当 ・経営者/スタートアップ専門占い師紹介 ・社労士事務所と連携した助成金活用アドバイザー ・都市伝説や心理学、帝王学活用型経営勉強会 ・オンラインサロン&コミュニティ活性化支援事業 ・ゼネラリスト専門マッチング支援 ・新規事業創出に強いディスカッションパートナー など ――ずいぶんいろいろやっているんですね。この「経営者/スタートアップ専門占い師紹介」というのはなんですか。 河野:経営者は孤独なので、占い師に相談したくなることがよくあります。でも、仕事や経営の話をしているのに、ビジネスが分からない占い師から「いやそんなことよりあなたに合う神社はここです」みたいなことしか言われないと、がっかりしますよね。 一方で世の中には、現役で会社経営をしながら占い師をしている方とか、ビジネスに詳しい占い師さんもいるので、そういう「仕事や経営の話ができる占い師さん」と出会える紹介サービスを始めました。 ――河野さんのマイクロビジネスの年商って、どのくらいの規模感なんですか。 河野:月商50万円を超えたものは、成功事例として本腰を入れるイメージです。そこを超えるまでは、マーケティングと試行錯誤を重ねながらブラッシュアップして、利益を上げられるようにビジネスを磨き上げていきます。 さらに月に2~3種類は、新しいビジネスのタネを作っています。今は世の中の変化が激しくビジネスのサイクルが短いので、できるだけたくさん作っておこうということで、毎日毎日新しいものを考え続けています。 ――会社を大きくするのではなく、たとえニッチなビジネスでも数があれば生きていけると。しかもビジネスを作り上げるスキルをゼネラリストとして高めていけば、発想力も運営力もどんどん磨かれていく。 河野:その通りです。連続起業家の方は「会社を作ることは筋トレみたいなもの。積み重ねていくうちにビジネスプランを軌道に乗せるまでが楽になる」と言いますが、私もマイクロビジネスを多数立ち上げることで、「ニッチビジネス専門の総合商社」として擬似的にそういうことをしているつもりです。 ゼネラリストの貢献が認められなかった挫折 共同運営する渋谷の配信BARのコミュニティイベント(河野さんは前列中央右) ――こういうスタイルになったきっかけは何ですか。 河野:学生時代からイベンター(イベントを企画・運営する人)をやっていて、社会人になってからも、サークルで「新宿飲み100人」とか「河原でBBQ大会」とかをやっていたんですね。そうすると、いろんな人たちとの接点ができてくる。 そういう人たちからはビジネスのネタになるいろんな声が聞けるので、「その声に対応した小さなビジネスを始めれば、少なくともそこにお客さんがいる」という状態があったことが、いまのスタイルの基となっています。 当初は会社員の副業としてやっていたんですが、ビジネスの数が増えていくと片手間では難しくなってきて、それらを全部自分の会社で管理できるような形で創業してみようと思って、独立して起業しました。 ――なるほど。しかし一度は新卒で就職して会社員をしていた河野さんが、なぜ「クレイジーゼネラリスト」になったのでしょうか。 河野:実はそこには、ちょっとしたドロドロした思いがあって…。私は新卒で広告制作の会社に入り、新聞の折り込みチラシなどを作っていました。その後、ウェブ制作や映像制作の会社に転職してデジタルのクリエイティブの経験を重ね、フリーランスとして独立する準備をしていました。 しかし、ひょんなことからHR(人材)領域のベンチャー企業と出会って、新卒採用のコンサルティングの領域に足を踏み入れます。幸い「エンタメ型就活」というテーマで会社説明会を多数企画したり、就活関連のポータルサイト運営やクライアントの会社説明会ツールの制作を引き受けたりして、会社にはそれなりに貢献できたと思います。 ――いろんな経験の蓄積がうまく活かせたわけですね。 河野:それ以外にも、会社が新規事業で海外エリートの人材紹介をやるといえば、彼らの部屋探しを手伝ったり、日本での仕事の仕方や生活スタイルを教えたりもしました。他にも、営業活動への同行や広報、CSなどいろいろな部署で、幅広い貢献を続けてきました。なのに、会社からの評価は低く、処遇も望ましくはありませんでした。 その後、飛ぶ鳥を落とす勢いだった会社が、いろいろあって畳むことになったんです。そのとき、辞める選択肢もあったんですが、事業を引き継いた受け皿会社でも3年間勤めました。中の人として経験できる機会は糧になる、と思いましたので。 でもその後、当時の社長が「振り返り本」を出したとき、営業などのスペシャリストの活躍は載っているけど、僕みたいな縁の下のゼネラリストのことは触れられていなかったんですね。この悔しさが、自分に火をつけました。 大手人材紹介会社で味わった「屈辱」 巨大コワーキングスペースのゼネラルマネージャーとして活躍していた頃 ――それはつらい。会社を辞めた後は、どうしてたんですか。 河野:起業していろいろと頑張ってはみたのですが、限界が来てしまいまして…。大手の人材紹介会社に行って、これまでの経験を話し、自分に合った職場を紹介してもらえないかと頼みました。でも彼らは、私の幅広いキャリアを丸ごと見ようとせず、この会社のこの求人に、私のこの経歴の端っこの断片が合いました、みたいなことしか言わない。 彼らは「キャリア・アドバイザー」を名乗っているけど、全然そうじゃないんですね。僕の経歴やキャパシティに合った仕事を探してくれるのではなく、自社が抱える求人案件に合致して、クライアントに送り込んで手数料を取れる人しか眼中にない。そういうビジネスなんだと分かり、絶望しました。 しかしある時、たまたま都心で巨大なショールーム型コワーキングスペースを運営する案件があって、リファラル(人伝の紹介)でそこのゼネラルマネジャーに就任することができました。この経験が衝撃的でした。 就任時点で、現場は鉄骨だらけの状態。オープンに向けて、集客はもちろん施工管理の方とやり取りしたり、コミュニティマネジャーを採用育成したり、運営会社間のさまざまな橋渡しもしました。財務管理や株主総会の資料制作などの経験もさせてもらい、まさにゼネラリストキャリアの集大成のような、とても濃密な時間を過ごせました。 ――人材エージェントは、スキルが明確な職種を得意としていますが、逆に「いろいろ経験していて、権限を渡せば自分からなんでもやってくれる人を探して」という求人をもらっても、「そんなの探せません」で終わりなんですよね。 河野:リファラルであれば、僕のこれまでの経験やスキルの幅を理解した上で、次の職として迎え入れてくれたり、知り合いを紹介してくれるケースはあるんです。でも、いざエージェントなど一般的な転職市場に行くと、「マッチングする職場がありませんね」と言われてしまう。 これまでやってきた経験の幅の広さをある程度伝えたうえで、「上流工程の仕事ができると嬉しいです」と話しても、「何屋か分かりませんね」とか「強みを絞りましょう」とか「いやいや、まずはどれか一本の軸から始めて、デザイナーからディレクターになって、そこからプロデュース業全般を見ましょうね」とか言われてしまう。 「潰されていったスキルたちに謝れよ!」と言いたい 労働市場で評価されないゼネラリストが「リファラル転職」でブレイクすることがある ――大手のエージェントは、領域や職種でセグメントされていて「あなたはここだけやっていればいい」と言われてるんですね。そういうエージェントが「横串の経験を評価して」と言われても、もう範疇外になっちゃう。 河野:私もそこで「じゃあ、とりあえずウェブデザイナーから入って1~2年頑張って、発言権を得てから、中で大爆発してやるわ!」って思えればいいんですけど。 でも、自分の能力が10個あるうちの8個引っ込めて、2個だけで生きていかざるを得なかった人たちがたくさんいると思ったら、なんとかこの構造を変えてやらなきゃいけない、っていう思いの方が強くて。それで意地を張っているところがありますね。 「そういう人たちが潰していかざるを得なかったスキルたちに謝れよ!」と言えるような、ゼネラリストの魅力をちゃんと世の中が理解できるように変えていきたい。私のスキルを認めなかった「キャリア・アドバイザー」を見返したい。そういう思いがあって「なんでも屋最強」説を提唱したり、クレイジーゼネラリストと名乗ったりしています。(後編はこちら。) —– 河野伸樹の「ゼネラリストのお悩み相談に乗ります」:ゼネラリストとして活躍した栄光と、労働市場から評価されない挫折を抱えた河野が、同じゼネラリストの悩みに耳を傾ける駆け込み寺。経歴によっては活躍できそうな場をリファラルで紹介します。
私のスキルを認めなかった「キャリア・アドバイザー」を見返したい:クレイジーゼネラリスト河野伸樹の逆襲(前編)
「メンバーシップ型雇用からジョブ型雇用へ」の流れの中で、尖ったスキルを誇るスペシャリストが歓迎されている。その一方で、従来の日本企業で育成されてきた、分野を超えて広く浅く手掛ける「ゼネラリスト」の地盤沈下が著しい。
この風潮に「なんでも屋最強説」を掲げる河野伸樹さん(45歳)は納得がいかない。「クレイジーゼネラリスト」を名乗り、全国のゼネラリストに、自らのスキルと可能性のすべてを活かす道を探すべきと鼓舞する活動を行っている。なぜそのような考えに至ったのか。株式会社グローバルウェイ取締役CHROの根本勇矢が話を聞いた。(構成:キャリコネニュース編集部)
ビジネスを多産し「月商50万円」で本腰入れる
――河野さんは、「なんでも屋最強」説を唱えるクレイジーゼネラリストを名乗り、さまざまなニッチビジネスを行っているそうですが、具体的にどんなことをしているのですか。
河野:いま動かしているビジネスを並べると、例えばこんな感じになります。
――ずいぶんいろいろやっているんですね。この「経営者/スタートアップ専門占い師紹介」というのはなんですか。
河野:経営者は孤独なので、占い師に相談したくなることがよくあります。でも、仕事や経営の話をしているのに、ビジネスが分からない占い師から「いやそんなことよりあなたに合う神社はここです」みたいなことしか言われないと、がっかりしますよね。
一方で世の中には、現役で会社経営をしながら占い師をしている方とか、ビジネスに詳しい占い師さんもいるので、そういう「仕事や経営の話ができる占い師さん」と出会える紹介サービスを始めました。
――河野さんのマイクロビジネスの年商って、どのくらいの規模感なんですか。
河野:月商50万円を超えたものは、成功事例として本腰を入れるイメージです。そこを超えるまでは、マーケティングと試行錯誤を重ねながらブラッシュアップして、利益を上げられるようにビジネスを磨き上げていきます。
さらに月に2~3種類は、新しいビジネスのタネを作っています。今は世の中の変化が激しくビジネスのサイクルが短いので、できるだけたくさん作っておこうということで、毎日毎日新しいものを考え続けています。
――会社を大きくするのではなく、たとえニッチなビジネスでも数があれば生きていけると。しかもビジネスを作り上げるスキルをゼネラリストとして高めていけば、発想力も運営力もどんどん磨かれていく。
河野:その通りです。連続起業家の方は「会社を作ることは筋トレみたいなもの。積み重ねていくうちにビジネスプランを軌道に乗せるまでが楽になる」と言いますが、私もマイクロビジネスを多数立ち上げることで、「ニッチビジネス専門の総合商社」として擬似的にそういうことをしているつもりです。
ゼネラリストの貢献が認められなかった挫折
――こういうスタイルになったきっかけは何ですか。
河野:学生時代からイベンター(イベントを企画・運営する人)をやっていて、社会人になってからも、サークルで「新宿飲み100人」とか「河原でBBQ大会」とかをやっていたんですね。そうすると、いろんな人たちとの接点ができてくる。
そういう人たちからはビジネスのネタになるいろんな声が聞けるので、「その声に対応した小さなビジネスを始めれば、少なくともそこにお客さんがいる」という状態があったことが、いまのスタイルの基となっています。
当初は会社員の副業としてやっていたんですが、ビジネスの数が増えていくと片手間では難しくなってきて、それらを全部自分の会社で管理できるような形で創業してみようと思って、独立して起業しました。
――なるほど。しかし一度は新卒で就職して会社員をしていた河野さんが、なぜ「クレイジーゼネラリスト」になったのでしょうか。
河野:実はそこには、ちょっとしたドロドロした思いがあって…。私は新卒で広告制作の会社に入り、新聞の折り込みチラシなどを作っていました。その後、ウェブ制作や映像制作の会社に転職してデジタルのクリエイティブの経験を重ね、フリーランスとして独立する準備をしていました。
しかし、ひょんなことからHR(人材)領域のベンチャー企業と出会って、新卒採用のコンサルティングの領域に足を踏み入れます。幸い「エンタメ型就活」というテーマで会社説明会を多数企画したり、就活関連のポータルサイト運営やクライアントの会社説明会ツールの制作を引き受けたりして、会社にはそれなりに貢献できたと思います。
――いろんな経験の蓄積がうまく活かせたわけですね。
河野:それ以外にも、会社が新規事業で海外エリートの人材紹介をやるといえば、彼らの部屋探しを手伝ったり、日本での仕事の仕方や生活スタイルを教えたりもしました。他にも、営業活動への同行や広報、CSなどいろいろな部署で、幅広い貢献を続けてきました。なのに、会社からの評価は低く、処遇も望ましくはありませんでした。
その後、飛ぶ鳥を落とす勢いだった会社が、いろいろあって畳むことになったんです。そのとき、辞める選択肢もあったんですが、事業を引き継いた受け皿会社でも3年間勤めました。中の人として経験できる機会は糧になる、と思いましたので。
でもその後、当時の社長が「振り返り本」を出したとき、営業などのスペシャリストの活躍は載っているけど、僕みたいな縁の下のゼネラリストのことは触れられていなかったんですね。この悔しさが、自分に火をつけました。
大手人材紹介会社で味わった「屈辱」
――それはつらい。会社を辞めた後は、どうしてたんですか。
河野:起業していろいろと頑張ってはみたのですが、限界が来てしまいまして…。大手の人材紹介会社に行って、これまでの経験を話し、自分に合った職場を紹介してもらえないかと頼みました。でも彼らは、私の幅広いキャリアを丸ごと見ようとせず、この会社のこの求人に、私のこの経歴の端っこの断片が合いました、みたいなことしか言わない。
彼らは「キャリア・アドバイザー」を名乗っているけど、全然そうじゃないんですね。僕の経歴やキャパシティに合った仕事を探してくれるのではなく、自社が抱える求人案件に合致して、クライアントに送り込んで手数料を取れる人しか眼中にない。そういうビジネスなんだと分かり、絶望しました。
しかしある時、たまたま都心で巨大なショールーム型コワーキングスペースを運営する案件があって、リファラル(人伝の紹介)でそこのゼネラルマネジャーに就任することができました。この経験が衝撃的でした。
就任時点で、現場は鉄骨だらけの状態。オープンに向けて、集客はもちろん施工管理の方とやり取りしたり、コミュニティマネジャーを採用育成したり、運営会社間のさまざまな橋渡しもしました。財務管理や株主総会の資料制作などの経験もさせてもらい、まさにゼネラリストキャリアの集大成のような、とても濃密な時間を過ごせました。
――人材エージェントは、スキルが明確な職種を得意としていますが、逆に「いろいろ経験していて、権限を渡せば自分からなんでもやってくれる人を探して」という求人をもらっても、「そんなの探せません」で終わりなんですよね。
河野:リファラルであれば、僕のこれまでの経験やスキルの幅を理解した上で、次の職として迎え入れてくれたり、知り合いを紹介してくれるケースはあるんです。でも、いざエージェントなど一般的な転職市場に行くと、「マッチングする職場がありませんね」と言われてしまう。
これまでやってきた経験の幅の広さをある程度伝えたうえで、「上流工程の仕事ができると嬉しいです」と話しても、「何屋か分かりませんね」とか「強みを絞りましょう」とか「いやいや、まずはどれか一本の軸から始めて、デザイナーからディレクターになって、そこからプロデュース業全般を見ましょうね」とか言われてしまう。
「潰されていったスキルたちに謝れよ!」と言いたい
――大手のエージェントは、領域や職種でセグメントされていて「あなたはここだけやっていればいい」と言われてるんですね。そういうエージェントが「横串の経験を評価して」と言われても、もう範疇外になっちゃう。
河野:私もそこで「じゃあ、とりあえずウェブデザイナーから入って1~2年頑張って、発言権を得てから、中で大爆発してやるわ!」って思えればいいんですけど。
でも、自分の能力が10個あるうちの8個引っ込めて、2個だけで生きていかざるを得なかった人たちがたくさんいると思ったら、なんとかこの構造を変えてやらなきゃいけない、っていう思いの方が強くて。それで意地を張っているところがありますね。
「そういう人たちが潰していかざるを得なかったスキルたちに謝れよ!」と言えるような、ゼネラリストの魅力をちゃんと世の中が理解できるように変えていきたい。私のスキルを認めなかった「キャリア・アドバイザー」を見返したい。そういう思いがあって「なんでも屋最強」説を提唱したり、クレイジーゼネラリストと名乗ったりしています。(後編はこちら。)
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河野伸樹の「ゼネラリストのお悩み相談に乗ります」:ゼネラリストとして活躍した栄光と、労働市場から評価されない挫折を抱えた河野が、同じゼネラリストの悩みに耳を傾ける駆け込み寺。経歴によっては活躍できそうな場をリファラルで紹介します。