• 驚くほど親日的なポーランド 日本人が知らない「94年前に結ばれた絆」

    2014年4月7日の「未来世紀ジパング」は、日本ではあまり知られていない中央ヨーロッパの国、ポーランドとの深い結びつきを紹介していた。

    1989年、旧共産圏から民主化し大きく変化したポーランドは、いま急激に経済成長している。GDPは21年連続プラス成長で、ヨーロッパで唯一、ユーロ危機やリーマンショック時にも成長を維持した。

    そんなポーランドは、実は驚くほど親日的だった。剣道など日本の武道がブームで、ポーランドきっての名門ワルシャワ大学の人気学科は、日本学科。その倍率は30倍を超える。

    大学生は日本語がペラペラ、日本人顔負けの俳句を詠んでいた。さらに学生の家を訪ねると、食事は白いご飯に冷凍餃子、スーパーでは日清や味の素の即席麺が大人気で、食品メーカーの進出ラッシュだという。(ライター:okei)

    1920年、孤児を助けた体験が語り継がれる

    第一次世界大戦後、ロシア革命の内戦中、多くのポーランド人はシベリアに抑留されていた。極寒の地で次々と命を落とす中、ポーランドは両親を失った子どもたちだけでも救おうと、救命嘆願書をアメリカやイギリスへ助けを求める手紙を出した。

    しかし返事は来ず、唯一返事をしたのが日本だった。そして1920年から22年にかけて計5回、765人の孤児たちが船で日本へ運ばれ、想像もつかないほどの温かいもてなしを受けたのだという。

    到着直後のポーランド孤児たちはチフスを患い、頭にはシラミ、餓死寸前の子もいるという最悪の健康状態だったが、日本赤十字の看護師たちが懸命に看護した。全国から寄付も集まり、子どもたちは元気を取り戻す。

    2年後、1人も欠けることなくポーランドに戻った孤児たちは、終生その体験を語り継いだという。ワルシャワ在住のジャーナリスト・松本輝男氏は、元孤児からの日本への感謝をこう語る。

    「『日本は良い国、人道的、サムライ精神に溢れる国だ』と、こちらが気恥ずかしくなるような(絶賛した)表現をする。彼らはポーランド社会における親日感の語り部。それがいまだにずっと残っている」

    後に大統領になる「連帯」のワレサ氏は、1981年に「ポーランドを第二の日本にしたい」と語り、ポーランドでは誰でも知っている名言になっているという。

    281社の日本企業が進出する「人の気質」

    現在、ポーランドに進出している日本企業の数は、トヨタやブリジストンをはじめ281社。EU諸国への輸出の一大生産拠点となっている。

    その理由として、ポーランドの「安定した経済」と「人の気質」が挙げられる。NSK(日本精工)副工場長の山下勝義さんは、ポーランド人社員の気質をこう語った。

    「欧米の人は、もっと前に前に出る性格なのかと思っていたが、謙虚な所が多くて日本人と気質が良く似ている」

    工場内では、日本式の「カイゼン」を習得すべく作業工程をビデオ撮影するポーランド人社員の姿があった。懸命に細かな工程表とビデオをにらんで無駄の洗い出しをする。現場マネージャーのバルテックさん(37歳)は、こう満足げに語っていた。

    「日本式のやり方は僕を成長させてくれていると感じる。ずっと続けて行きたい。こんな風に家族も養えるしね」

    さらに、日本の技術がポーランドのエネルギー危機を救う場面も。ポーランドでは電力の9割が石炭火力発電だが、今後EUが排ガス規制を強化する。

    そこで三菱日立パワーシステムズは、排ガスを水蒸気に変える無害化装置を開発。EUの排ガス規制をクリアし、さらに他の国にも電気を売ることも可能となる。ポーランドの電力会社も「未来の基幹産業になりえる」と大満足だ。

    重要性を増すポーランドの位置づけ

    番組は最後に、ヨーロッパの工業の中心はポーランドであること、今後日本がドイツやロシア、更には北朝鮮とうまくやるために、ポーランドの位置づけが重要であることを伝えていた。

    94年前に結ばれた絆が、今も日本とポーランドを深く結びつけている。日本も大正時代、決して豊かではない中で人道的に素晴らしいことをしていた。現在の親交を思うと、当時それを決めた日本人に感謝したい気持ちになる。

    あわせてよみたい:親日パキスタンは「経済大国」になれるか

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