「全人格労働」とは何か?仕事が人生に支配される怖さと対策
「全人格労働」とは、労働者が自分の全人生や全人格を仕事に捧げるような働き方を指します。この概念は、産業医の阿部眞雄氏が2008年に著書『快適職場のつくり方―イジメ、ストレス、メンタル不全をただす』(学習の友社刊)で提示し、その後さまざまな議論が行われています。
本来、仕事は収入源やキャリアの一部であるべきですが、全人格労働では仕事が人生のすべてを支配し、労働者の心身に深刻な影響を与えます。それだけでなく、企業の持続的な発展を妨げ、社会全体にも悪影響を及ぼす深刻な問題と理解すべきです。
「全人格労働」の特徴
「全人格労働」と呼ばれる働き方には、次のような特徴があります。
1.生活の中心が仕事に
全人格労働では、労働者は仕事に全人生を捧げます。仕事が生活の中心となり、家庭生活、趣味、休息などの他の生活領域を圧迫します。長時間労働や休日出勤が常態化し、家族との時間や自分自身のリフレッシュの時間が取れなくなります。
2.心身への悪影響
全人格労働は、労働者の心身に深刻な影響を与えます。過度のストレスや疲労から、うつ病や不安障害、適応障害などのメンタルヘルスの問題を引き起こします。また、高血圧、心疾患、睡眠障害などの身体的な健康問題も増加します。これにより、労働者は入院や休職、最悪の場合は退職を余儀なくされます。
3.社会的な孤立
全人格労働は、労働者を社会的に孤立させます。仕事に全てを捧げることで、家族や友人との関係が希薄になり、社会的な支えを失います。これにより、労働者は孤独感や無力感を感じやすくなり、メンタルヘルスの問題がさらに悪化することがあります。
4.判断力の低下
全人格労働による過度のプレッシャーや疲労で、労働者は正しい判断ができなります。例えば「重要な会議に遅れないために、電車のドアを手動で開けて線路を歩く」といった極端な行動を取るようになります。このような行動は、労働者自身の安全を危険にさらすだけでなく、周囲の人々にも悪影響を及ぼす可能性があります。
「全人格労働」に陥る背景
「全人格労働」の働き方に陥ってしまう背景には、次のようなものがあります。
1.競争激化と業績プレッシャー
企業間の競争が激化し、社員に対して高い業績を求めるプレッシャーが増大しています。これにより、社員は自分の全人格を仕事に投入しなければならない状況に追い込まれます。特に、成果主義が強調される職場では、業績を上げるために長時間労働や過剰な努力が求められます。
2.雇用不安と解雇の恐怖
景気が悪化し雇用の安定性が低下すると、社員は解雇されないために過剰な労働を受け入れざるを得なくなり、全人格労働に追い込まれます。特に、非正規雇用や契約社員の増加により、雇用の不安定性が高まっています。
3.過度な効率主義と成果主義
効率主義や成果主義が行き過ぎると、社員は常に高い成果を求められ、長時間労働やサービス残業が常態化します。これにより、仕事が人生のすべてを支配するようになります。
4.あいまいな評価基準と過剰なノルマ
評価基準があいまいであったり、過剰なノルマが課されたりすることも、全人格労働を助長します。社員は評価されるために、自己の全人格を仕事に捧げる必要を感じ、常にプレッシャーを感じてストレスが蓄積します。
5.キャリアアップの停滞
賃金やポストの上昇が期待できない職場が増えると、社員は報酬を得るために過剰な努力を強いられ、全人格労働に陥ります。特に、若年層や中堅社員にとって、将来のキャリアパスが見えにくい状況が続いています。
6.社会的・文化的要因
日本の社会や文化において、仕事に対する過度な責任感や献身が美徳とされることも、全人格労働を助長します。社員は自分の人生を仕事に捧げることが当然とされる風潮が生まれます。
「全人格労働」問題の解決策《個人レベル》
企業の責任が重いブラック企業問題とは異なり、「全人格労働」問題の解決には、個人、企業、そして社会全体での取り組みが必要です。まず、「全人格労働」から自分自身を守るためには、個人レベルでの対策が不可欠です。
1.ワークライフバランスの意識的な管理
仕事以外の時間を大切にし、趣味や家族との時間を確保することが必要です。定時退社の日を設けるなど、自身で労働時間をコントロールする努力も大切です。
2.スキルアップによる自己価値の向上
継続的な学習や資格取得により、自身の市場価値を高めることができます。専門性を磨くことで、過度の長時間労働に頼らずに成果を出せるようになる可能性も高まります。
3.健康管理とストレス対策
定期的な運動や十分な睡眠など、基本的な健康管理を行うことが大切です。また、自分に合ったストレス解消法を見つけ、実践することも重要です。
4.労働者の権利に関する知識の習得
労働基準法など、労働者の権利に関する基本的な知識を身につけることで、不当な扱いから自身を守ることができます。必要に応じて労働組合や専門家に相談することも検討しましょう。
5.転職を検討する勇気
現在の環境が改善されない場合、転職という選択肢も視野に入れることが大切です。自身のキャリアプランを常に意識し、適切なタイミングで行動を起こすことが重要です。
「全人格労働」問題の解決策《企業レベル》
「全人格労働」は、短期的には企業に利益をもたらすように見えるかもしれません。しかし、長期的には従業員の健康悪化、人材の流出、企業イメージの低下、創造性の減少などのリスクがあり、問題解決には企業主体の対策も必要です。
1.労働時間管理の徹底
従業員を「全人格労働」に陥らせないようにするために、企業は残業時間の上限設定と管理、有給休暇の取得促進などを通じて、従業員の労働時間を適切に管理することが求められます。
2.健全な企業文化の醸成
長時間労働を美徳とする風潮を是正し、効率的な働き方を評価する制度を導入することで、従業員の意識改革を促すことができます。
3.従業員の健康管理プログラムの導入
定期的な健康診断の実施やメンタルヘルスケアの充実により、従業員の心身の健康を守ることができます。
4.多様な働き方の導入
テレワークやフレックスタイム制の導入など、柔軟な勤務形態を検討することで、従業員のワークライフバランスを支援できます。
5.公正な評価制度の確立
成果主義と労働時間のバランスを考慮した評価制度や、透明性の高い昇進・昇給制度を導入することで、従業員のモチベーション向上と公平性の確保につながります。
「全人格労働」問題の解決策《社会レベル》
「全人格労働」問題は、個人や企業だけでなく、社会全体で取り組むべき課題です。
1.労働法制の整備と強化
労働基準法の遵守を徹底するための監視体制を強化し、「全人格労働」を防止するための新たな法整備を検討することが求められます。
2.「働き方改革」の推進
政府主導での長時間労働是正の取り組みや、企業の取り組みを支援する制度は、かなり充実してきました。これをさらに改善しつつ、実際に運用していくことが重要です。
3.教育現場でのワークライフバランス教育
学校教育の中でのキャリア教育を充実させ、労働者の権利や健全な働き方に関する教育を実施することで、将来の労働者の意識を高めることができます。
4.社会的な意識改革
「全人格労働」に関する問題について、メディアを通じて啓発し、「仕事中心から生活中心へ」の価値観の転換を促すことが必要です。
企業の持続的な発展と社会の健全な成長へ
「全人格労働」問題の解決のために、個人は自身の健康と権利を守るための行動を、企業は持続可能な経営のための環境整備を、そして社会全体では法制度の整備や意識改革を進めることが重要です。
これらの対策が相互に補完し合うことで、より効果的に問題を解決し、労働者が心身ともに健康で、仕事と生活のバランスが取れた状態で働ける社会を実現することができるでしょう。
そのような社会こそが、個人の幸福だけでなく、企業の持続的な発展、そして社会全体の健全な成長につながるのです。私たち一人ひとりが問題を認識し、それぞれの立場でできることから行動を起こすことが、より良い労働環境と社会の実現への第一歩となります。