• 反省文や始末書は無意味? 社員の問題行動が「なくならない」理由

    仕事上のトラブルは、多くのサラリーマンが経験するところだろう。

    書類の紛失、納期の遅れといった社外を巻き込むものから、“ほうれんそう”の欠如、言葉遣い・態度の悪さ、身だしなみの悪さ、たび重なる遅刻といった個人の問題まで様々ある。

    こうした社員には、上司が注意して反省をうながしたり、あるいは始末書・謝罪文を書かせたりすることがある。しかしそれが、逆に問題行動を繰り返させる原因になっている可能性も指摘されている。

    「りっぱな反省文」は「上辺だけの謝罪」

    岡本茂樹著『反省させると犯罪者になります』(新潮社)はタイトルが示す通り、非行や犯罪に対して“反省”を求めてはいけないと主張する1冊だ。著者は中学・高校で子供たちの教育指導を行ってきた経験を持つ大学教授。刑務所での更生支援にも携わっている。

    生徒や受刑者たちを更生させる現場で、著者は安易な“反省”を求める声に直面してきた。非行少年・少女や受刑者たちが書かされる反省文もその1つだ。反省文では…

    “親に迷惑をかけて申し訳ない”
    “被害者に悪いことをした”

    といったフレーズが並ぶことが多い。しかし、いわゆる「りっぱな反省文」の真意は「『上辺だけ』謝っておこうという考え方」でしかないのだと著者はいう。

    なぜなら、ただ形だけの反省を求められた受刑者たちは、その反省の「意味」を考えないからだ。

    それでは、犯した罪や被害者の心まで考えが至らない。反省しないから、出所しても「二度とパクられない(逮捕されない)方法を考える」ということになってしまう。

    著者は「自分の心の痛みを明らかにすること」が最も大切だと主張する。例えば、万引きした少年はいじめに悩んでいるのかもしれないし、暴行事件の受刑者は幼少期に家庭内暴力で苦しんでいたのかもしれない。その「痛み」が分かって始めて、他者の「心の痛み」も理解できるようになるというのだ。

    本の中では、覚せい剤に手を出したあげく、殺人を犯してしまった中年男性の例が挙げられている。彼は当初、「人を殺したのは覚せい剤があったせいだ」と信じ込んでいたが、著者が根気強く話を聞いていくと、その人生が狂い始めた根っこには幼少期の父親からの暴力があった。

    そこで著者は、当時の父親に対して本当に言いたかったことを言わせ、心のわだかまりを解きほぐした。結果、男性は「前向きに生きていこうという気持ちになれました」「被害者のことを考えるようになりました」という姿勢に改善したという。

    自分の本音を「吐き出させる」こと

    これは、トラブルの多い社員についても、同じことが言える部分もある。

    部下により早く成果を求めようとすると、指導が厳しくなりがちなときもある。それを守れる社員ばかりならばいいが、改善が見られない場合もあるだろう。

    始末書や反省文も、受刑者たちと同じく「上辺だけ謝っておこう」という精神で書かれる場合がある。そうすると、文章にはその場しのぎの謝罪の言葉しか並ばない。

    そうした場合、より厳しく指導しても意味がないかもしれない。陰口を叩くようになるか、不満をため込んである日突然“キレて”しまう可能性もある。

    このような問題行動を改善するためには、その行動の原因を本人自身の視点で理解させることが重要だ。

    人間関係に悩んでいるのか、過重タスクに苦しんでいるのか。問題行動には何らかの「理由」が潜んでいると見ていいだろう。行動を改善させるには、そうした「ホンネ」を引き出す必要がある。飲みに行って「批判せずに聞きに徹する」ことで解決するかもしれない。直接話すのが難しければ、産業医の助けを借りるのも手だ。

    要は、自分の本音を吐き出させることが大切なのだ。トラブルを起こす社員は自分を見つめ直し、ひいては他の同僚たちの気持ちを理解することにつながる。最終的には、本当の意味での反省の言葉を引き出すことができる可能性もあるだろう。

    著者は、ちょっとしたストレスであっても、自分の中にため込んで我慢し続けると「大きな爆発につながる」としている。1人でもいいから「自分の話を聞いてくれる人を持つ」ことが重要なのだ。

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