「デキる社員」と「ダメ社員」の習慣(6)ダメ社員はざっくばらんで、デキる社員は神経質 2012年9月20日 仕事のエコノミクス ツイート ダメ社員時代を思い返すと、私は、社内コミュニケーションに全くといっていいほど配慮してませんでした。 身近な人たちにあまり気を遣いすぎるのもおかしいと思ったし、「多くを語らなくても意図を汲んでくれるだろう」、という甘えがあったのかもしれません。 例えば、こんな感じの反応をしてたことを思い出します。 ●実現が難しい企画を打診されて →「面白いけど、実際難しそうだよね」 ●流行のCDを紹介されて →「興味あるけど、なかなかCD屋行く時間ないんだよねー」 ●読んだことある古典名著を勧められて →「あ、それね。もちろん、読んだことあるよ!」 ●同じことを二度尋ねられ →「ほら、さっき言ったようにさ…」 ●業務の依頼メールで →「○○についてお願いできますか?」 さて、こうしたコミュニケーションの何が「問題」なのでしょうか? いずれも、率直な自分の気持ちを出していて、よく言えば「ざっくばらん」です。 でも、逆に言えば、話を振ってくれた相手の気持ちに対してまったく配慮が足りていません。 当時の私は、あらゆる場面で「自分の意見を通す」ことばかり考えてました。 確かに、思った通りのことを言うとスッキリはするんですが、それと、「自分の意見が通って、物事が自分の思い通りに進む」ということは全くの別問題なんです。 むしろ、私が相手の気持ちに配慮せずに言いたいことを言い放つことで相手が気分を害し、上手くいかなかったことが多かった気がします。 反省した私は、その後、長い時間をかけて「相手に配慮する」ことを学びました。 特にカウンセラーの資格を取得したことが大きなきっかけとなりました。それは私の今までのコミュニケーションとは全く違う、当時の私にとって「神経質」と感じるくらいの配慮に溢れた世界だったんです。 ◇ 「神経質」になると応対はこれほど変わる! その結果、先の悪い例がどのように変化したか、具体的に見て頂きましょう。 ●実現が難しい企画を打診されて ×「面白いけど、実際難しそうだよね」 ○「なるほど、その考え方は面白いね。そうすると、実現させるには困難がいろいろとありそうかも…ちょっと考えてみようか」 反対意見が正論であっても、そこで自分の意見を通すだけでは何も進展しません。 「受け入れる」のではなく「受け止める」ところからのスタートがいいですね。「よくわかりました」ではなく、「なるほど、そんな考えもあるんですね」というニュアンスです。 ●流行のCDを紹介されて ×「興味あるけど、なかなかCD屋行く時間ないんだよねー」 ○「なるほど、ありがとう!なかなかCD屋行けてないけど、営業途中に寄ってみるわ」 前者の場合、せっかくの情報を全否定されたような感じになってしまいます。興味はあるのですから、あえて否定する言葉を入れて、相手の印象を悪くする必要はないですよね。 また、「でも」「しかし」「けど」「ですが」「だけども」といった「逆説語」が入ってしまうと、全体の印象がキツくなってしまいます。 本文だけで充分否定の意味は伝わるわけですから、心当たりのある方はすぐにでも意識して話されることをお勧めします。 ●既読の古典名著を勧められて ×「あ、それね。もちろん、読んだことあるよ!」 ○「ありがとう。確かにあれはいいよね!」 ●同じことを二度尋ねられ ×「ほら、さっき言ったようにさ…」 ○「ああ、それはね…」 この「もちろん」や「さっき言ったように」といった言葉には、相手を軽く否定して自分の優位を示そうと言うニュアンスが含まれてしまいます。 言いたくなる気持ちはよく分かりますし、私自身も言ったことは数多くあります。でも、そこで自分の優位を示す必要はないですよね。 大事なのは自分の正当性を主張することではなく、あくまで相手との信頼関係を作ることです。 ●業務の依頼メールで ×「○○についてお願いできますか?」 ○「ご多忙のところ恐縮ですが、○○をお願いできれば嬉しいです」 「してください」とか「できますか?」といった表現には、多少高圧的なニュアンスが付きまといます。 もちろん、そんな意図で使っているわけではないとは思いますが、文字だけの情報だと、気持ちが伝わらないことがあります。 いずれも、意図は同じでも「違い」は歴然です。話す言葉、書く言葉。神経質なくらい配慮して、お互い気持ちよく意図を実現できるコミュニケーションをとっていきたいものです。 (新田龍・人事コンサルタント)
「デキる社員」と「ダメ社員」の習慣(6)ダメ社員はざっくばらんで、デキる社員は神経質
ダメ社員時代を思い返すと、私は、社内コミュニケーションに全くといっていいほど配慮してませんでした。
身近な人たちにあまり気を遣いすぎるのもおかしいと思ったし、「多くを語らなくても意図を汲んでくれるだろう」、という甘えがあったのかもしれません。
例えば、こんな感じの反応をしてたことを思い出します。
●実現が難しい企画を打診されて
→「面白いけど、実際難しそうだよね」
●流行のCDを紹介されて
→「興味あるけど、なかなかCD屋行く時間ないんだよねー」
●読んだことある古典名著を勧められて
→「あ、それね。もちろん、読んだことあるよ!」
●同じことを二度尋ねられ
→「ほら、さっき言ったようにさ…」
●業務の依頼メールで
→「○○についてお願いできますか?」
さて、こうしたコミュニケーションの何が「問題」なのでしょうか?
いずれも、率直な自分の気持ちを出していて、よく言えば「ざっくばらん」です。
でも、逆に言えば、話を振ってくれた相手の気持ちに対してまったく配慮が足りていません。
当時の私は、あらゆる場面で「自分の意見を通す」ことばかり考えてました。
確かに、思った通りのことを言うとスッキリはするんですが、それと、「自分の意見が通って、物事が自分の思い通りに進む」ということは全くの別問題なんです。
むしろ、私が相手の気持ちに配慮せずに言いたいことを言い放つことで相手が気分を害し、上手くいかなかったことが多かった気がします。
反省した私は、その後、長い時間をかけて「相手に配慮する」ことを学びました。
特にカウンセラーの資格を取得したことが大きなきっかけとなりました。それは私の今までのコミュニケーションとは全く違う、当時の私にとって「神経質」と感じるくらいの配慮に溢れた世界だったんです。
◇
「神経質」になると応対はこれほど変わる!
その結果、先の悪い例がどのように変化したか、具体的に見て頂きましょう。
●実現が難しい企画を打診されて
×「面白いけど、実際難しそうだよね」
○「なるほど、その考え方は面白いね。そうすると、実現させるには困難がいろいろとありそうかも…ちょっと考えてみようか」
反対意見が正論であっても、そこで自分の意見を通すだけでは何も進展しません。
「受け入れる」のではなく「受け止める」ところからのスタートがいいですね。「よくわかりました」ではなく、「なるほど、そんな考えもあるんですね」というニュアンスです。
●流行のCDを紹介されて
×「興味あるけど、なかなかCD屋行く時間ないんだよねー」
○「なるほど、ありがとう!なかなかCD屋行けてないけど、営業途中に寄ってみるわ」
前者の場合、せっかくの情報を全否定されたような感じになってしまいます。興味はあるのですから、あえて否定する言葉を入れて、相手の印象を悪くする必要はないですよね。
また、「でも」「しかし」「けど」「ですが」「だけども」といった「逆説語」が入ってしまうと、全体の印象がキツくなってしまいます。
本文だけで充分否定の意味は伝わるわけですから、心当たりのある方はすぐにでも意識して話されることをお勧めします。
●既読の古典名著を勧められて
×「あ、それね。もちろん、読んだことあるよ!」
○「ありがとう。確かにあれはいいよね!」
●同じことを二度尋ねられ
×「ほら、さっき言ったようにさ…」
○「ああ、それはね…」
この「もちろん」や「さっき言ったように」といった言葉には、相手を軽く否定して自分の優位を示そうと言うニュアンスが含まれてしまいます。
言いたくなる気持ちはよく分かりますし、私自身も言ったことは数多くあります。でも、そこで自分の優位を示す必要はないですよね。
大事なのは自分の正当性を主張することではなく、あくまで相手との信頼関係を作ることです。
●業務の依頼メールで
×「○○についてお願いできますか?」
○「ご多忙のところ恐縮ですが、○○をお願いできれば嬉しいです」
「してください」とか「できますか?」といった表現には、多少高圧的なニュアンスが付きまといます。
もちろん、そんな意図で使っているわけではないとは思いますが、文字だけの情報だと、気持ちが伝わらないことがあります。
いずれも、意図は同じでも「違い」は歴然です。話す言葉、書く言葉。神経質なくらい配慮して、お互い気持ちよく意図を実現できるコミュニケーションをとっていきたいものです。
(新田龍・人事コンサルタント)