親子3代で働く社員もいるグンゼ 創業精神の「縦糸」に時代の「横糸」を織り込む 2014年4月21日 ビジネスTVウォッチ ツイート 2014年4月17日の「カンブリア宮殿」(テレビ東京)は、男性用肌着のトップメーカー、グンゼを取り上げた。創業以来受け継いできた人材育成の「保守」と、新規事業への「挑戦」という二つの側面を伝えていた。 創業からの理念「人は財なり」を大切にしているというグンゼは、1896年「郡是製絲」という生糸メーカーとして創業。明治時代、「女工哀史」で有名な紡績産業が真っ盛りのころ、その一端を担っていたのだ。 「表は工場、裏は学校」と言われた創業期 女性従業員が「女工」として蔑まれることが多かった当時、創業者の波多野鶴吉氏は彼女たちを技術者として認め、「工女」と呼んだ。読み書きそろばんなどの教育を施し、長期つとめた者にはタンスや鏡台などの嫁入り道具まで贈った。 教育熱心の姿勢は、近所で「表は工場だが、裏は学校」と噂されるほど。祖父から三世代にわたってグンゼで働いているグンゼエンジニアリングの因幡俊宏さんは、こう語る。 「自分自身が伸びていける環境があるのが非常に大きい。子供がグンゼに入りたいと思えるような会社に、自分でもできればいいなと思います」 現在、従業員7900人、売り上げ1300億円。男性用肌着で16%とシェアトップだが、肌着類の売り上げは全体の約半分。残りは一見肌着とは関係のない事業を展開している。 1900年代初めに化学繊維のレーヨンが世界的に普及すると、生糸の価格は暴落し、会社は壊滅的な打撃を受けた。生糸製ストッキングの生産で苦境を脱すると、戦後は肌着メーカーとしてトップに。しかし、会社はそれに安住することはなかった。 「不安定な産業」を自覚して新事業を重視 ストッキングの包装フィルムを手始めに、熱で収縮するフィルムを開発。ズワイガニの包装で33%のシェアを確立すると、ペットボトルの包装でも爆発的に売り上げを伸ばした。 湿気で曇らない野菜の袋を開発し、シェア50%。タッチパネルのフィルムも製造した。医療の分野では、日本で初めて体内で溶ける糸を開発し、その糸で作った「縫合補強材」のシェアは100%だ。 生糸の原料である繭は、もともと生き物。相場によって価格が変動する不安定な産業だ。創業者の波多野氏は、紡績産業が隆盛を極めたころから、危機感を持って次の事業開拓への必要性を説いていたという。 番組編集長の村上龍は、創業者の経営哲学をどう継承するのか、現社長の児玉和氏に問うた。児玉社長は、会社の経営を「縦糸と横糸がある織物」に例え、縦糸は芯の糸となる強い糸、つまり「創業の精神」だとした上で、こう語った。 「(創業者は)人間尊重や優良品をつくる、共存共栄といった創業の精神をつくり、歴代の経営陣はそれを全部守ってきた。『横糸』が、その時代時代に合った経営戦略、事業、商品を織り込んでいく。これが織物の柄になる。それが(グンゼの)この歴史です」 アラスカの蟹工船に乗り込んで商品化 1964年に開発された、「熱を加えると圧縮されるフィルム」は、当初は用途が見つからず苦労した。そこで営業マンが頼み込んで蟹工船に乗り、機械の面倒から包装作業までを行った。当時の営業・木下堅司さん(71歳)は、極寒のアラスカでの苦闘をこう振り返る。 「海は流氷。マイナス18~20度くらいの極寒だった。もう、ホントに地獄ですね。毎日毎日パックしては冷凍して。(それでも)非繊維事業をなんとかしようと、みんなでガムシャラにやっていました」 このフィルムは、ズワイガニの外れやすい足を保護しつつ包装するのにうってつけだった。木下さんの表情には、無理やりやらされたという感じは微塵もなく、会社のために必死で頑張っていたという気持ちが伝わってきた。結局、いくら良い製品を作っても、最後は「人」なのだと改めて創業者の心を感じた。(ライター:okei) あわせてよみたい:「娘を任せてほんとに良かった」と言われる会社
親子3代で働く社員もいるグンゼ 創業精神の「縦糸」に時代の「横糸」を織り込む
2014年4月17日の「カンブリア宮殿」(テレビ東京)は、男性用肌着のトップメーカー、グンゼを取り上げた。創業以来受け継いできた人材育成の「保守」と、新規事業への「挑戦」という二つの側面を伝えていた。
創業からの理念「人は財なり」を大切にしているというグンゼは、1896年「郡是製絲」という生糸メーカーとして創業。明治時代、「女工哀史」で有名な紡績産業が真っ盛りのころ、その一端を担っていたのだ。
「表は工場、裏は学校」と言われた創業期
女性従業員が「女工」として蔑まれることが多かった当時、創業者の波多野鶴吉氏は彼女たちを技術者として認め、「工女」と呼んだ。読み書きそろばんなどの教育を施し、長期つとめた者にはタンスや鏡台などの嫁入り道具まで贈った。
教育熱心の姿勢は、近所で「表は工場だが、裏は学校」と噂されるほど。祖父から三世代にわたってグンゼで働いているグンゼエンジニアリングの因幡俊宏さんは、こう語る。
現在、従業員7900人、売り上げ1300億円。男性用肌着で16%とシェアトップだが、肌着類の売り上げは全体の約半分。残りは一見肌着とは関係のない事業を展開している。
1900年代初めに化学繊維のレーヨンが世界的に普及すると、生糸の価格は暴落し、会社は壊滅的な打撃を受けた。生糸製ストッキングの生産で苦境を脱すると、戦後は肌着メーカーとしてトップに。しかし、会社はそれに安住することはなかった。
「不安定な産業」を自覚して新事業を重視
ストッキングの包装フィルムを手始めに、熱で収縮するフィルムを開発。ズワイガニの包装で33%のシェアを確立すると、ペットボトルの包装でも爆発的に売り上げを伸ばした。
湿気で曇らない野菜の袋を開発し、シェア50%。タッチパネルのフィルムも製造した。医療の分野では、日本で初めて体内で溶ける糸を開発し、その糸で作った「縫合補強材」のシェアは100%だ。
生糸の原料である繭は、もともと生き物。相場によって価格が変動する不安定な産業だ。創業者の波多野氏は、紡績産業が隆盛を極めたころから、危機感を持って次の事業開拓への必要性を説いていたという。
番組編集長の村上龍は、創業者の経営哲学をどう継承するのか、現社長の児玉和氏に問うた。児玉社長は、会社の経営を「縦糸と横糸がある織物」に例え、縦糸は芯の糸となる強い糸、つまり「創業の精神」だとした上で、こう語った。
アラスカの蟹工船に乗り込んで商品化
1964年に開発された、「熱を加えると圧縮されるフィルム」は、当初は用途が見つからず苦労した。そこで営業マンが頼み込んで蟹工船に乗り、機械の面倒から包装作業までを行った。当時の営業・木下堅司さん(71歳)は、極寒のアラスカでの苦闘をこう振り返る。
このフィルムは、ズワイガニの外れやすい足を保護しつつ包装するのにうってつけだった。木下さんの表情には、無理やりやらされたという感じは微塵もなく、会社のために必死で頑張っていたという気持ちが伝わってきた。結局、いくら良い製品を作っても、最後は「人」なのだと改めて創業者の心を感じた。(ライター:okei)
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