サントリー「やってみなはれ」の正体は「執念を持って成功させる」粘り強さ 2014年4月28日 ビジネスTVウォッチ ツイート 2014年4月24日の「カンブリア宮殿」(テレビ東京)は、サントリー酒類を取り上げた。「プレミアムモルツ」の好調で、2013年は過去最高益となりグループの売り上げは2兆円、従業員3万人という巨大企業だ。 しかしビール事業は2007年まで45年間赤字だったという。それでも撤退せず、大躍進を遂げた原動力には、有名な企業哲学「やってみなはれ」があったようだ。 46年目「プレミアムモルツ」でようやく黒字化 サントリーの創業者、鳥井信治郎氏は1899年、日本で本格的な洋酒の製造販売を行った人物だ。「赤玉ポートワイン」をヒットさせ、戦後は「トリス」がウィスキーブームの火付け役となった。 会社は盤石だったが、次男で二代目社長となる佐治敬三氏が静養中の父親に「ビールをやりたい」と申し出る。ビール市場は既に大手が握っており、苦戦は目に見えていたが、鳥井氏はひとこと「やってみなはれ」とゴーサインを出した。 こうして1963年にビール業界に参入したものの、何をやっても売れない日々が続く。酒屋では、ウィスキーの営業マンは歓迎されるが、ビール担当が行くと「間に合っている」と追い返された。 番組編集長の村上龍は、「やってみなはれ」というのはレスポンス(反応)の言葉と指摘し、提案者の責任も重くなると水を向けると、現社長・相場康則氏は「そのとおり」と頷いた。 「浮ついた考えで『ちょっと挑戦したい』という感じじゃない。本当に執念を持って事業を成功させるという気持ちが大事。大変な部分を乗り越えて『やってみなはれ』は成立する」 ウィスキーの旨さを追求してきた技術力で、ビールでも材料と製法に手間を惜しまず味を磨き上げ、2008年「プレミアムモルツ」で悲願の黒字に転じる。ビール参入46年目のことだ。 ビール全体の売り上げが下降線を辿るなか、「ハレの日や週末にうまいビールを飲む」という飲み方の提案は現代の需要にマッチし、売り上げは右肩上がり。高級ビールではシェア6割を誇り、サッポロビールを抜いて業界第3位に躍り出た。 「青いバラ」の開発に14年間を費やす ビールの赤字を、ウィスキーが支え続けた訳ではない。1980年代からウィスキーの売り上げが隆盛期の5分の1に減るという「オールドショック」もあった。 村上龍は、収録前に取材VTRを見て「オーナー企業はすぐダメになっちゃうけど、どうしてダメにならなかったんだろう」とつぶやいた。この疑問に対する答えは、相場社長の社風を表すこんな言葉にあった。 「守りに入ってやらないというのは、表現は悪いが『悪』で、なさざるのは罪だ、とにかく挑戦しろと。それは、新入社員からベテランまで染み込んでますので、一丸となって会社が動く原動力になっていますね」 サントリーの歴代の経営者は研究開発に力を入れ、健康志向の時代にはウーロン茶を、バブル崩壊後は発泡酒を初めて作った。最近ではハイボール・ブームをつくり、緑茶飲料の「伊右衛門」や、女性社員にブランドマネージャーを任せた「オランジーナ」、居酒屋に女性がボトルキープするほど大人気の焼酎「ふんわり鏡月」などもある。 さらに自然の交配ではできない青いバラを、遺伝子技術により開発。これには14年を費やしている。上席研究員の田中良和さんは「何も成果がなかった2年間は苦しかったですが、経営判断で『やめろ』という話はなかった。サントリーだけができるオリジナルなことをやりたいという思いがあったのだと思います」と話した。 長期的な視点でのイノベーションに挑戦できた背景には、非上場のオーナー企業経営ということもあっただろう。ただしそれだけでなく、鷹揚な雰囲気の「やってみなはれ」という関西弁の裏には、実は「挑戦しないのは罪」「成功するまで諦めまへんで」という粘り強い執念のようなものを含んでいると感じた。(ライター:okei) あわせてよみたい:サントリーHDの給与・評判・口コミ
サントリー「やってみなはれ」の正体は「執念を持って成功させる」粘り強さ
2014年4月24日の「カンブリア宮殿」(テレビ東京)は、サントリー酒類を取り上げた。「プレミアムモルツ」の好調で、2013年は過去最高益となりグループの売り上げは2兆円、従業員3万人という巨大企業だ。
しかしビール事業は2007年まで45年間赤字だったという。それでも撤退せず、大躍進を遂げた原動力には、有名な企業哲学「やってみなはれ」があったようだ。
46年目「プレミアムモルツ」でようやく黒字化
サントリーの創業者、鳥井信治郎氏は1899年、日本で本格的な洋酒の製造販売を行った人物だ。「赤玉ポートワイン」をヒットさせ、戦後は「トリス」がウィスキーブームの火付け役となった。
会社は盤石だったが、次男で二代目社長となる佐治敬三氏が静養中の父親に「ビールをやりたい」と申し出る。ビール市場は既に大手が握っており、苦戦は目に見えていたが、鳥井氏はひとこと「やってみなはれ」とゴーサインを出した。
こうして1963年にビール業界に参入したものの、何をやっても売れない日々が続く。酒屋では、ウィスキーの営業マンは歓迎されるが、ビール担当が行くと「間に合っている」と追い返された。
番組編集長の村上龍は、「やってみなはれ」というのはレスポンス(反応)の言葉と指摘し、提案者の責任も重くなると水を向けると、現社長・相場康則氏は「そのとおり」と頷いた。
ウィスキーの旨さを追求してきた技術力で、ビールでも材料と製法に手間を惜しまず味を磨き上げ、2008年「プレミアムモルツ」で悲願の黒字に転じる。ビール参入46年目のことだ。
ビール全体の売り上げが下降線を辿るなか、「ハレの日や週末にうまいビールを飲む」という飲み方の提案は現代の需要にマッチし、売り上げは右肩上がり。高級ビールではシェア6割を誇り、サッポロビールを抜いて業界第3位に躍り出た。
「青いバラ」の開発に14年間を費やす
ビールの赤字を、ウィスキーが支え続けた訳ではない。1980年代からウィスキーの売り上げが隆盛期の5分の1に減るという「オールドショック」もあった。
村上龍は、収録前に取材VTRを見て「オーナー企業はすぐダメになっちゃうけど、どうしてダメにならなかったんだろう」とつぶやいた。この疑問に対する答えは、相場社長の社風を表すこんな言葉にあった。
サントリーの歴代の経営者は研究開発に力を入れ、健康志向の時代にはウーロン茶を、バブル崩壊後は発泡酒を初めて作った。最近ではハイボール・ブームをつくり、緑茶飲料の「伊右衛門」や、女性社員にブランドマネージャーを任せた「オランジーナ」、居酒屋に女性がボトルキープするほど大人気の焼酎「ふんわり鏡月」などもある。
さらに自然の交配ではできない青いバラを、遺伝子技術により開発。これには14年を費やしている。上席研究員の田中良和さんは「何も成果がなかった2年間は苦しかったですが、経営判断で『やめろ』という話はなかった。サントリーだけができるオリジナルなことをやりたいという思いがあったのだと思います」と話した。
長期的な視点でのイノベーションに挑戦できた背景には、非上場のオーナー企業経営ということもあっただろう。ただしそれだけでなく、鷹揚な雰囲気の「やってみなはれ」という関西弁の裏には、実は「挑戦しないのは罪」「成功するまで諦めまへんで」という粘り強い執念のようなものを含んでいると感じた。(ライター:okei)
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