「絶えずケモノ道を歩む」 畜産系調味料のトップメーカー・アリアケジャパン創業者の哲学 2014年6月7日 ビジネスTVウォッチ ツイート 「50年やっているので、私が売れないと言ったものは売れません。売れると言ったものは売れる。それは外れません」 自信に満ちた口調でそう話すのは、「アリアケジャパン」創業者で会長の岡田甲子男氏だ。2014年6月5日の「カンブリア宮殿」は、国内食品メーカーに必要不可欠な「畜産系調味料」で業界シェアトップのアリアケジャパン・岡田会長の経営哲学を紹介していた。 80歳の今も「味覚で負けたことがない」 社名は一般には知られていないが、日本で暮らしながらこの会社の製品を口にしたことがないという人は、ほとんどいないのではないか。 スナック菓子や即席麺・カレールウ、外食チェーンのソースや三ツ星レストランのスープまで、食品業界で幅広く利用されている。その数は、スープやブイヨン、ソースなどを中心に約2,500種類以上あり、売上高は372億円を誇る。 このトップ企業を一代で築き上げた岡田氏は、昭和8年長崎県生まれ。11歳で原爆を体験し、幼い頃から生き抜くために働いてきた自負と強靭さに満ちている。80歳の今なお肌ツヤも良く、張りのある声できびきびと話す。 「私は80を過ぎたが味覚で(研究者にも)負けたことがない。まずいものを作ったら、1000人雇っても売れない。市場にあるもの、利益のないものも作らない。人がやるようなことはしない。絶えずケモノ道を歩む」 1966年、33歳の時「有明特殊水産販売」を設立。即席麺が普及した時代とかみ合い、スープ製造の依頼が殺到した。 会社は急成長したものの、大なべで材料をひたすら煮込む作業はすべて人の手で行っており、重労働のうえ湯気で充満した室内は地獄の暑さだった。あまりの過酷さに、初めて働きに来た人が休憩から二度と戻らない、ということが日常茶飯事だったという。 セブンイレブンの人気PB商品を「共同開発」 事態を打開し他を圧倒するには、労働環境の改善が必要不可欠と考えた岡田氏は、天然調味料抽出の完全自動化に踏み切る。 1998年、長崎に100億円をかけてハイテク工場を建設、巨大なタンクでだしを自動抽出する独自のシステムを作りあげたのだ。出来のブレもなくなり、製造コストも大幅ダウン。「よし、これで天下とれたな」と確信した。 全ての料理のベースとなる「だし」は、鰹や昆布なら数分でとれるが、チキンやとんこつなどの洋風だしは4~10時間かかり大変な手間のかかる作業だ。味の確かなベースのスープがあれば、あらゆる食品メーカーや外食チェーンにとって、大幅な効率化につながる。 外国人の調理人には、スープづくりは重労働すぎるので、飲食店の海外出店には必要不可欠な存在だ。アリアケは海外にも製造拠点を5つ持ち、世界の取引相手も多い。把握しているだけでも2万社はあるそうだ。 最近は調味料にとどまらず、セブンイレブンのPB「金のビーフシチュー」を共同開発して好評を得ている。長崎県の諫早湾を干拓した農地で、国内最大級の広さを誇る有機栽培の玉ネギ畑の運営をはじめた。一度に2千から3千個使うタマネギは、ひとつの調味料であり、一貫生産したほうがコスト的にも安いのだという。 母の教育「結果は自分が努力しなければ伴わない」 番組編集長の村上龍氏が「最初のだし作りは、3Kと呼ばれるような辛い仕事だったが、撤退せず踏みとどまった。昔から他人がやらない道を選ぶ性格だったのか」と疑問を投げかけると、岡田氏はこう答えた。 「私は運が強いし、働くことは小さい時からやっていたので、苦労とは思わなかった。それと『結果というのは自分が努力しなければ伴わない』と母親からこんこんと言われていた」 岡田流経営とは「仕事に限らず、己に勝った人が真の尊い『勝者』だと思う」とも語る。迷ったら苦しいほうを選ぶ、というわけだ。 原爆と戦後を生き抜き、トップ企業を一代で築き上げてきた人物ならではの説得力だ。自らを「運が強い」と語る岡田会長から、戦後の日本の高度成長を作り上げてきた人たちの、いまだ衰えぬ活力を感じた。(ライター:okei) あわせてよみたい:日本社会は「主婦パワー」を活かすことができるのか
「絶えずケモノ道を歩む」 畜産系調味料のトップメーカー・アリアケジャパン創業者の哲学
自信に満ちた口調でそう話すのは、「アリアケジャパン」創業者で会長の岡田甲子男氏だ。2014年6月5日の「カンブリア宮殿」は、国内食品メーカーに必要不可欠な「畜産系調味料」で業界シェアトップのアリアケジャパン・岡田会長の経営哲学を紹介していた。
80歳の今も「味覚で負けたことがない」
社名は一般には知られていないが、日本で暮らしながらこの会社の製品を口にしたことがないという人は、ほとんどいないのではないか。
スナック菓子や即席麺・カレールウ、外食チェーンのソースや三ツ星レストランのスープまで、食品業界で幅広く利用されている。その数は、スープやブイヨン、ソースなどを中心に約2,500種類以上あり、売上高は372億円を誇る。
このトップ企業を一代で築き上げた岡田氏は、昭和8年長崎県生まれ。11歳で原爆を体験し、幼い頃から生き抜くために働いてきた自負と強靭さに満ちている。80歳の今なお肌ツヤも良く、張りのある声できびきびと話す。
1966年、33歳の時「有明特殊水産販売」を設立。即席麺が普及した時代とかみ合い、スープ製造の依頼が殺到した。
会社は急成長したものの、大なべで材料をひたすら煮込む作業はすべて人の手で行っており、重労働のうえ湯気で充満した室内は地獄の暑さだった。あまりの過酷さに、初めて働きに来た人が休憩から二度と戻らない、ということが日常茶飯事だったという。
セブンイレブンの人気PB商品を「共同開発」
事態を打開し他を圧倒するには、労働環境の改善が必要不可欠と考えた岡田氏は、天然調味料抽出の完全自動化に踏み切る。
1998年、長崎に100億円をかけてハイテク工場を建設、巨大なタンクでだしを自動抽出する独自のシステムを作りあげたのだ。出来のブレもなくなり、製造コストも大幅ダウン。「よし、これで天下とれたな」と確信した。
全ての料理のベースとなる「だし」は、鰹や昆布なら数分でとれるが、チキンやとんこつなどの洋風だしは4~10時間かかり大変な手間のかかる作業だ。味の確かなベースのスープがあれば、あらゆる食品メーカーや外食チェーンにとって、大幅な効率化につながる。
外国人の調理人には、スープづくりは重労働すぎるので、飲食店の海外出店には必要不可欠な存在だ。アリアケは海外にも製造拠点を5つ持ち、世界の取引相手も多い。把握しているだけでも2万社はあるそうだ。
最近は調味料にとどまらず、セブンイレブンのPB「金のビーフシチュー」を共同開発して好評を得ている。長崎県の諫早湾を干拓した農地で、国内最大級の広さを誇る有機栽培の玉ネギ畑の運営をはじめた。一度に2千から3千個使うタマネギは、ひとつの調味料であり、一貫生産したほうがコスト的にも安いのだという。
母の教育「結果は自分が努力しなければ伴わない」
番組編集長の村上龍氏が「最初のだし作りは、3Kと呼ばれるような辛い仕事だったが、撤退せず踏みとどまった。昔から他人がやらない道を選ぶ性格だったのか」と疑問を投げかけると、岡田氏はこう答えた。
岡田流経営とは「仕事に限らず、己に勝った人が真の尊い『勝者』だと思う」とも語る。迷ったら苦しいほうを選ぶ、というわけだ。
原爆と戦後を生き抜き、トップ企業を一代で築き上げてきた人物ならではの説得力だ。自らを「運が強い」と語る岡田会長から、戦後の日本の高度成長を作り上げてきた人たちの、いまだ衰えぬ活力を感じた。(ライター:okei)
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