資生堂社長交代の深層 露呈したトップ層の人材不足 2013年3月27日 企業徹底研究 ツイート 資生堂が今月11日、突然発表した社長交代に波紋が広がっている。先の東芝の「副会長職新設同様、説明が腑に落ちない」(報道関係者)からだ。 一連の報道をまとめると、社長交代の概要と経緯は次の通りだ。 「末川久幸社長(53歳)は3月31日付で社長と取締役を退任、相談役に就任する。前田新造会長(66歳)が4月1日付で社長を兼任する。末川社長の退任は健康上の理由」と言うもの。末川社長は社長就任からわずか2年での退任だ。 2年間「何も良いことがなかった」末川社長 都内で行われた社長交代発表の席で、末川社長は「2月頃から健康が優れず、この調子では社長の任を全うできないと判断、同月半ばに退任を申し出た」と、退任の理由を自ら説明。病名こそ明らかにしなかったが、「四半期ごとに業績を下方修正しなければならないのが、相当な精神的重圧だった」と漏らし、退任を決断した一因に、業績不振があることを認めた。 一方、社長に復帰する前田会長は、自らの課題として「経営を再び成長軌道に戻す道筋をつけること、後継者を早急に育成すること」の2点を挙げた。 前田会長は2005年から3期6年社長を務め、乱立していたブランドを整理するなど国内事業の収益力を強化する一方で、化粧品メーカーの米ベアエッセンシャル社買収や中国の販売網構築など、国際事業強化の実績を残した。 この前田会長の社長時代の参謀役だったのが、当時は経営企画部長だった末川社長。前田社長の後継者として11年4月、52歳の若さで社長に抜擢された。 しかし、社長就任直前に発災した東日本大震災に続き、欧州債務危機にさらされ、業績が低迷。さらに昨年は、不振の国内化粧品事業を補っていた中国事業も尖閣諸島問題を背景に失速。今期は四半期決算発表ごとに業績予想の下方修正を繰り返し、株式市場の信用も失った。 こうした報道だけを見ると、末川社長が健康と自信を失ったと見られるのも無理はない。だが、業界事情通は「業績低迷の原因を作ったのは前田会長。末川社長はそのツケを回されただけ」と言う。この深層は後でじっくり触れるとして、まずはキャリコネの口コミから同社の現場の内情を見ておくことにする。 ◇ 不透明な人事評価 疲弊する現場 同社はメセナ活動や女性管理職率の高さ(11年:21%)から、世間的には「女性に優しい企業」というイメージが強いだろう。 しかし、このイメージとは裏腹に、内部ではさまざまな問題を抱えているようだ。 「不満、ストレス、多忙で化粧をする気も起きない。問題点として長時間労働、営業の見なし労働(残業代がない)、休日出勤の多さ、がある。原因として、仕事自体が非効率かつ非実用的なものが多い」(ルートセールス、20代後半、女性社員)、 「モチベーションの高い人は当然いるが、8割はやらされ業務の様に見受けられる。部門の壁、業務の進め方(ここまでが自分の業務⇒丸投げ)など仕事がやりにくい環境にある」(研究開発、40代前半、女性社員) など、現場の疲労感は強い。 また、人事評価のあり方に対する不満も目立ち、管理部門の女性社員(40代後半)は「査定についてはまったくのブラックボックス。成果主義とはいえ、そのときどきの環境により振れ幅が大きく、実力とか、会社への貢献度で評価されている実感には乏しい」と言い、 商品企画の女性社員(20代後半)も「入社時から数年全く昇給せず、ボーナスも一律なので、働こうが働くまいがあまり給与に差がない印象。人事評価や査定はあいまいで納得がいかない」と不満を漏らす。 元社員の一人は「前田会長は社内には労働環境の悪化とモチベーションの低下をもたらし、人を大事にする『書生堂』を、人を腐らせる『腐生堂』に変えてしまった」と憤慨する。 ◇ 事業戦略が混乱する化粧品事業 「資生堂の業績にただならぬものを感じ、最初に騒ぎ出したのは創業家の福原義春名誉会長だった」と前出の事情通は明かす。 会長職を退いてからは経営に口出しをしなかった福原名誉会長が、昨年10月、同社の株価が10年ぶりに1000円を割り込んだ際に、突如役員全員を非公式に招集、末川社長に「このままで業績は大丈夫なのか」と問いただす場面があったと言う。 同社の業績を振り返ると、08年秋のリーマンショック以降、連結売上高は6400~6900億円前後で足踏みし、営業利益もマイナスが続いている。 たしかに、13年3月期通期の業績予想下方修正については「中国での反日暴動が要因」との言い訳も成り立つもしれないが、原因はそれだけではない。国内化粧品市場の低価格化が進み、主要販路がドラッグストアに移行する中、適切な対応が取れず「国内化粧品事業のぶれまくったのが主因」と指摘する業界関係者も少なくない。 確かに、同社の国内化粧品事業の売上高は6年連続で減少し、11年度(12年3月期)は3538億円と6年間で1000億円近くも減少している。 化粧品業界の盟主とうたわれ、かつては40%を誇ったシェアは今や10%台だ。 また、商品チャネルの戦略も混乱しているようだ。 同社は現在、主力チャネルである百貨店と化粧品専門店に加え、これらと競合するドラッグストアや総合スーパーにもあらゆる商品を「平等に流している」(業界関係者)。その結果、「落ち目の百貨店・化粧品専門店連合に猛攻を加えるドラッグストア・総合スーパー連合を援護射撃する図式になっている」(業界関係者)と言う。 これについて、あるライバルの役員は「チャネル戦略に定見がなく、決断もできないメーカー」と指摘する。 このチャネル戦略の混乱ぶりを示したとも言えるのが、昨年4月に始めた総合美容サービスサイト「ワタシプラス」。 サービス開始直後から「ワタシプラス会員」を発足させ、化粧品専門店に各店の顧客をワタシプラス会員へ登録させるよう依頼した。 そして、その会員達に割引キャンペーンのメルマガを配信したのだ。「資生堂は我々の客を奪うつもりか」と、化粧品専門店から抗議が殺到、化粧品専門店の資生堂離れを加速させた。 こうした事業戦略のぶれは、実は、末川社長時代に始まった問題ではなく前田会長の社長時代(05~11年)から始まっていたのだ。 前田会長は「制度疲労を起こしているビジネスを改革することなく、その場しのぎのブランドの整理や中国事業の強化などで、見せかけの収益改善になってしまった。今では同社の重荷になっているベア社の買収や異常な配当性向も、前田会長がまいた種」と事情通は分析する。 社長交代の記者会見に出席していたある経済ジャーナリストは「実に歯切れの悪い社長交代の説明だった」と言い、この様子を次のように話す。 社長に復帰する前田会長は「末川は一定の成果を上げた」とかばった上で、「だから、私に後継者指名責任はない」と逃げ、一方の末川社長も、業績下方修正を繰り返したことについて「外部要因による不可抗力なので責任はない」と弁明したらしい。 結局「交代の説明は保身に終始し、両トップの口から資生堂の業績が低迷していることへの反省や課題解決の話が出ることはなかった」と、このジャーナリストは語った。 さらに記者たちを驚かせたのは、後継者育成にかこつけ「社長の内規は4年。ただし4年はあっと言う間に来てしまう」との前田会長の発言だった。 「緊急登板してもらったので1年程度のショートリリーフ」と、社外取締役の一人から事前に聞かされていた話と異なり、前田会長の口から出たのは「今から6年かけて後継者をじつくり育てる」という発言だった。 つまり「業績不振の責任を末川社長におっかぶせたら、後釜がいなかった。それで前田会長が社長に復帰した」というのが、ことの深層のようだ。 そして、今回退任する末川社長が、前田会長の腹心だったことからすれば、次の6年間で、果たして後継者の育成がうまくいくのか、はなはだ心もとない。 資生堂が図らずもトップ層の人材不足まで露呈した一幕でもあった。
資生堂社長交代の深層 露呈したトップ層の人材不足
資生堂が今月11日、突然発表した社長交代に波紋が広がっている。先の東芝の「副会長職新設同様、説明が腑に落ちない」(報道関係者)からだ。
一連の報道をまとめると、社長交代の概要と経緯は次の通りだ。
「末川久幸社長(53歳)は3月31日付で社長と取締役を退任、相談役に就任する。前田新造会長(66歳)が4月1日付で社長を兼任する。末川社長の退任は健康上の理由」と言うもの。末川社長は社長就任からわずか2年での退任だ。
2年間「何も良いことがなかった」末川社長
都内で行われた社長交代発表の席で、末川社長は「2月頃から健康が優れず、この調子では社長の任を全うできないと判断、同月半ばに退任を申し出た」と、退任の理由を自ら説明。病名こそ明らかにしなかったが、「四半期ごとに業績を下方修正しなければならないのが、相当な精神的重圧だった」と漏らし、退任を決断した一因に、業績不振があることを認めた。
一方、社長に復帰する前田会長は、自らの課題として「経営を再び成長軌道に戻す道筋をつけること、後継者を早急に育成すること」の2点を挙げた。
前田会長は2005年から3期6年社長を務め、乱立していたブランドを整理するなど国内事業の収益力を強化する一方で、化粧品メーカーの米ベアエッセンシャル社買収や中国の販売網構築など、国際事業強化の実績を残した。
この前田会長の社長時代の参謀役だったのが、当時は経営企画部長だった末川社長。前田社長の後継者として11年4月、52歳の若さで社長に抜擢された。
しかし、社長就任直前に発災した東日本大震災に続き、欧州債務危機にさらされ、業績が低迷。さらに昨年は、不振の国内化粧品事業を補っていた中国事業も尖閣諸島問題を背景に失速。今期は四半期決算発表ごとに業績予想の下方修正を繰り返し、株式市場の信用も失った。
こうした報道だけを見ると、末川社長が健康と自信を失ったと見られるのも無理はない。だが、業界事情通は「業績低迷の原因を作ったのは前田会長。末川社長はそのツケを回されただけ」と言う。この深層は後でじっくり触れるとして、まずはキャリコネの口コミから同社の現場の内情を見ておくことにする。
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不透明な人事評価 疲弊する現場
同社はメセナ活動や女性管理職率の高さ(11年:21%)から、世間的には「女性に優しい企業」というイメージが強いだろう。
しかし、このイメージとは裏腹に、内部ではさまざまな問題を抱えているようだ。
「不満、ストレス、多忙で化粧をする気も起きない。問題点として長時間労働、営業の見なし労働(残業代がない)、休日出勤の多さ、がある。原因として、仕事自体が非効率かつ非実用的なものが多い」(ルートセールス、20代後半、女性社員)、
「モチベーションの高い人は当然いるが、8割はやらされ業務の様に見受けられる。部門の壁、業務の進め方(ここまでが自分の業務⇒丸投げ)など仕事がやりにくい環境にある」(研究開発、40代前半、女性社員)
など、現場の疲労感は強い。
また、人事評価のあり方に対する不満も目立ち、管理部門の女性社員(40代後半)は「査定についてはまったくのブラックボックス。成果主義とはいえ、そのときどきの環境により振れ幅が大きく、実力とか、会社への貢献度で評価されている実感には乏しい」と言い、
商品企画の女性社員(20代後半)も「入社時から数年全く昇給せず、ボーナスも一律なので、働こうが働くまいがあまり給与に差がない印象。人事評価や査定はあいまいで納得がいかない」と不満を漏らす。
元社員の一人は「前田会長は社内には労働環境の悪化とモチベーションの低下をもたらし、人を大事にする『書生堂』を、人を腐らせる『腐生堂』に変えてしまった」と憤慨する。
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事業戦略が混乱する化粧品事業
「資生堂の業績にただならぬものを感じ、最初に騒ぎ出したのは創業家の福原義春名誉会長だった」と前出の事情通は明かす。
会長職を退いてからは経営に口出しをしなかった福原名誉会長が、昨年10月、同社の株価が10年ぶりに1000円を割り込んだ際に、突如役員全員を非公式に招集、末川社長に「このままで業績は大丈夫なのか」と問いただす場面があったと言う。
同社の業績を振り返ると、08年秋のリーマンショック以降、連結売上高は6400~6900億円前後で足踏みし、営業利益もマイナスが続いている。
たしかに、13年3月期通期の業績予想下方修正については「中国での反日暴動が要因」との言い訳も成り立つもしれないが、原因はそれだけではない。国内化粧品市場の低価格化が進み、主要販路がドラッグストアに移行する中、適切な対応が取れず「国内化粧品事業のぶれまくったのが主因」と指摘する業界関係者も少なくない。
確かに、同社の国内化粧品事業の売上高は6年連続で減少し、11年度(12年3月期)は3538億円と6年間で1000億円近くも減少している。
化粧品業界の盟主とうたわれ、かつては40%を誇ったシェアは今や10%台だ。
また、商品チャネルの戦略も混乱しているようだ。
同社は現在、主力チャネルである百貨店と化粧品専門店に加え、これらと競合するドラッグストアや総合スーパーにもあらゆる商品を「平等に流している」(業界関係者)。その結果、「落ち目の百貨店・化粧品専門店連合に猛攻を加えるドラッグストア・総合スーパー連合を援護射撃する図式になっている」(業界関係者)と言う。
これについて、あるライバルの役員は「チャネル戦略に定見がなく、決断もできないメーカー」と指摘する。
このチャネル戦略の混乱ぶりを示したとも言えるのが、昨年4月に始めた総合美容サービスサイト「ワタシプラス」。
サービス開始直後から「ワタシプラス会員」を発足させ、化粧品専門店に各店の顧客をワタシプラス会員へ登録させるよう依頼した。
そして、その会員達に割引キャンペーンのメルマガを配信したのだ。「資生堂は我々の客を奪うつもりか」と、化粧品専門店から抗議が殺到、化粧品専門店の資生堂離れを加速させた。
こうした事業戦略のぶれは、実は、末川社長時代に始まった問題ではなく前田会長の社長時代(05~11年)から始まっていたのだ。
前田会長は「制度疲労を起こしているビジネスを改革することなく、その場しのぎのブランドの整理や中国事業の強化などで、見せかけの収益改善になってしまった。今では同社の重荷になっているベア社の買収や異常な配当性向も、前田会長がまいた種」と事情通は分析する。
社長交代の記者会見に出席していたある経済ジャーナリストは「実に歯切れの悪い社長交代の説明だった」と言い、この様子を次のように話す。
社長に復帰する前田会長は「末川は一定の成果を上げた」とかばった上で、「だから、私に後継者指名責任はない」と逃げ、一方の末川社長も、業績下方修正を繰り返したことについて「外部要因による不可抗力なので責任はない」と弁明したらしい。
結局「交代の説明は保身に終始し、両トップの口から資生堂の業績が低迷していることへの反省や課題解決の話が出ることはなかった」と、このジャーナリストは語った。
さらに記者たちを驚かせたのは、後継者育成にかこつけ「社長の内規は4年。ただし4年はあっと言う間に来てしまう」との前田会長の発言だった。
「緊急登板してもらったので1年程度のショートリリーフ」と、社外取締役の一人から事前に聞かされていた話と異なり、前田会長の口から出たのは「今から6年かけて後継者をじつくり育てる」という発言だった。
つまり「業績不振の責任を末川社長におっかぶせたら、後釜がいなかった。それで前田会長が社長に復帰した」というのが、ことの深層のようだ。
そして、今回退任する末川社長が、前田会長の腹心だったことからすれば、次の6年間で、果たして後継者の育成がうまくいくのか、はなはだ心もとない。
資生堂が図らずもトップ層の人材不足まで露呈した一幕でもあった。